核に揺れる北の大地
幌延─
滝川康治 著



   

 本誌にも再々寄稿頂いている滝川氏が北海道へ帰られて、幌延町の放射性廃棄物施設の立地問題に関り、核のゴミの後始末の「地層処分」という国策に抗する人たちの営みを紹介しながら、幌延の20年をまとめたものです。

『2001年4月末現在、すでに青森県六ケ所村と茨城県東海村に合計574体のガラス固化体が保管されており、再処理をやめない限り増えつづける。これらのガラス固化体を30〜50年間ほど中間貯蔵したあと、地下300メートルより深い岩盤のなかに埋め棄てる、というのが日本政府の方針。こうした埋設方法は「地層処分」と呼ばれている。が、人間の目の届かぬところに棄ててしまうのは、ずいぶん無謀で無責任な考え方だ。核燃機構は四年前、みずからの放射性廃棄物施設すら満足に管理できず、爆発事故を起こしている。まして、地殻変動の激しい日本列島である。地層処分は「やってはいけない仕事」の筆頭格に挙げてもよいのではないか。
 日本のどこに処分場を建設するか、まだ決まっていない。数年後に全国から5ケ所ほどの処分候補地を選び、調査をすすめながら建設地点を絞りこみ、処分場の操業開始は2030年代の半ばごろ──という大まかなスケジュールが示されているだけだ。「わが町に処分場をどうぞ」という自治体は、そう簡単に現れそうもない。 
 幌延町の研究所の目的は、地層処分にむけた試験データの収集と、一般の人に対して「日本でも地層処分ができる」とPRすることにある。このため、処分場と同じ規模の直径6〜7メートルの坑道を地下500メートル程度まで掘り下げ、さまざまな試験を行なって、核燃機構がまとめた処分技術のプランを検証する計画になっている。
『研究所には放射性廃棄物を持ちこまない」と核燃機構はくり返し言う。が、ここは国内でもっとも処分場の環境に近い施設である。それだけに、研究所の立地をきっかけにして、将来、周辺地域などが処分場の候補地にされる可能性はいぜん消えていない。

 未来に対する不安の火種をかかえながら、原子力文明からもっとも縁遠い北の大地が、20世紀の負の遺産である「核のゴミ」の後始末対策と地域とのはざまで揺れている。』
 地殻変動が激しい日本列島で地層処分ができる技術的な裏付けはない。ここは、まず原発や再処理をやめさせて、高レベル放射性廃棄物の総量を確定させたうえで、発生者の電力会社や、原発推進政策をつづけてきた政府に対して、きちんと責任をとらせていくことが求められる。(後略)

『地球号の危機 ニュースレター』 2002年1月 259号 より

 


処分施設をめぐる20年の闘いまとめ

 留萌支庁幌延町は、20世紀の「負の遺産」である放射性廃棄物の処分施設問題で揺れている。著者は反対運動に参加しながら、一人の記録者として、同町や周辺町村の20年間の闘いをまとめた。

 成功例もない危険な国策に怒りや不安を募らせ、白紙撤回を求め努力を続ける住民たち。それに対し、計画を進めようとする核燃機構(旧動燃)や、「立地受け入れ」を表明した堀知事の道政。それぞれの立地をめぐる駆け引きが続く。
 著者はこの経緯を、地元の酪農家や漁師、町長らへのインタビューなども交えて、分かりやすく解説し、原子力対策の「現実の姿」を浮き彫りにしている。「故郷を守りたい」という住民たちの強い思いが伝わると同時に、今後の原子力問題について改めて考えさせられる一冊である。

『朝日新聞』(夕刊)道内版 2002年1月11日 より

 


 農業、環境、公共事業などをテーマにした検証記事を本誌に連載しているルポライター滝川康治氏が、『幌延 核に揺れる北の大地』を出版(2001年12月)した。
 道北の酪農のマチ、幌延に計画された「放射性廃棄物の地層処分計画」に反対してきた住民たちの20年にわたる戦いをまとめたものだ。反原発の活動家として市民運動に関わってきた著者が、核に揺れる幌延と、国や関係機関の対応を「記録者」の目で綴っている。核の脅威は感じていても、その実体を知る人は少ない。本書はそうした我々に、あらためて核の脅威を知らせ、今道民が何をなすべきかを問うている。

 著者は10年前に『幌延 核のゴミ捨て場を拒否する』(技術と人間社)を出版。全国初の幌延関係叢書として注目を浴びた。しかし10年後の今、道は幌延の核廃棄物深地層試験場の立地受入れを決めた。 
 高レベル放射性廃棄物は、核分裂生成物(死の灰)と少量のプルトニウムなどを含む廃液を耐熱ガラスと混ぜてステンレスの容器に詰めた「ガラス固化体」にして処理される。日本国内には平成13年4月末現在、六ヶ所村(青森県)と東海村(茨城県)に計574本が保管され、今も増え続けている。ガラス固化体は1本で数億人を発ガンさせる放射能を含み、その側に30秒立っているだけで命を落とすほど毒性が強い。このガラス固化体を30〜50年ほど中間貯蔵した後、地下300メートルより深い岩盤の中に埋め捨てるのが「地層処分」と言われる最終処理だ。

 幌延の試験場は、この「地層処分」を試験的に行ない、データを収集するのが目的。「核のゴミ」問題は、原発大国日本が避けて通れない問題である。これからの日本の原発政策とエネルギー政策について、未来に向けた国民的課題として問いかけられている。

『北方ジャーナル』 2002年2月号 より

 


 留萌管内幌延町での科学技術庁・動燃(ともに当時)による、放射性廃棄物処理施設建設計画が明らかになったのは、約20年前にさかのぼる。やがて、この計画は放射性廃棄物の保管と地層処分研究をセットした、貯蔵工学センター建設計画となって具体化するが、核のごみ捨て場になることに反発や不安を持つ道民の強い反対運動と、横路道知事(当時)の立地拒否によって、1990年代初めに計画はこう着状態となった。

 しかし、あきらめない推進側は、貯蔵工学センター計画の中核施設である深地層研究所の単独設置に方針を転換。これに対し掘道知事は、高レベル廃棄物の持ちこみを認めない「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」を制定する一方、2000年10月、ついに立地受け入れを表明することになったのである。

 本書は上川管内下川町在住のルポライターで、計画に対する反対運動にも積極的に参加してきた著者が、自らの体験など記録者の目で、幌延問題をめぐる行政側の動きや、反対運動に取り組んできた地元をはじめとする多くの人々の声を取り上げながら、エネルギー問題の今後を問いかけたものである。

 町幹部の思いつきと有力政治家の介在から出発したといわれる幌延町の誘致運動、計画の推移からも分かるようにいかにも場当たり的な国の原子力行政、道民の意向や合意よりも政治的決着を優先した道の対応など、政治家や行政側に対する著者の目は厳しい。しかし、いまや原発大国となった日本にとって、放射性廃棄物は避けて通れない問題でもある。本書では小野有吾北大教授の提案をもとに今後の対応を紹介しているが、負の遺産を過疎地や次の世代に押しつけないためにも、耳を傾けるべきところは多い。(鶴)

『北海道新聞』2002年1月27日 より