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昨年の4月23・24日に、東京の日比谷公園で、反原発全国集会が開かれ、全国から2万人の人びとが集まった。科学技術庁や通産省への交渉と同時に、各地から集まった人たちの体験、情報交換の場が、あちこちで自然発生的に車座になってひらかれ、分散会、日比谷集会、パレードなどが、自主的にしかも調和をもって見事に行われた。それは「一流と称する料理人の手ではけして作りえなかったであろうほどのすばらしい料理」であり「監督も指揮者もなく、めいめいが自分の持ち味を出し合い、それでいて隣り合う他の持ち味をも引き出そうとする思いやり」がにじみ出ていた集会だった。
その記録が、こうして世に出たことは、美味を食さなかった人達にも、自分達の日常を考えなおすきっかけを与えてくれるにちがいない。
原発立地の地域住民や自然だけでなく、全国民が、いまや原発の核の恐怖にさらされている。それだけでなく札ビラでの買収、精神の荒廃、刹那(せつな)的な生き方、子や孫達への無責任。――
いまこそ、私達は、時代の転換点に立たされていることを、改めて思わないわけにはいかない。
私がとくに心打たれたのは、自分の村や海や町に、建設されそうになった原発を、ほぼ20年、いや、これからも阻止していく人達の行動である。
第8章「原発計画と地域の自立」に登場する、農民や漁民の言葉は、改めて「自分と地域」が何であったかを、私達に目からウロコが落ちるように悟らせてくれる。
窪川町、日高町、祝島、そして女川。それらの地域の人たちが、自分の住む地域社会を愛し、補償金などの一獲千金で土地を売りわたすのでなく、村おこしをして自立し、その土地の生産物を加工して、子孫も含めてみなともに働く場を持ち、ともに生きていこうとする人間らしい気持ち。
「どんな資本も知恵も裁判も、その地域、地方に住む人のほんとの心を知らなかったら勝てない」と窪川町の島岡さんは言う。日本は、こんな地域社会から変わっていくのかもしれない。
(暉峻俊子)
『信濃毎日新聞』1989年7月2日号
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