核燃料サイクル批判


書評1 書評2 書評3 

書評4 書評5 目次 

科学技術の怖さも伝える責任を

 青森県・六ヶ所村の核燃料サイクル基地建設計画はこれほどの危険をはらんでいる―。この本は核のごみ管理の問題点を科学技術的側面に的を絞って“覚悟”のほどを問うている。核燃料に関する科学技術の安全性を検証するために、当然ながらデータと専門用語を引用するが、六ヶ所村という暮らしの場を踏まえての解説で、飲み込みやすい。原子核化学の専門家である著者がじゅんじゅんと説く“反対理由”の書である。
 「放射能と30年付き合ってきて、自分として決まりを付けたいと、深い部分で感じるところがありましてね。書きながら、こんな風にしか物事が展開されないのかと、悲しかったですね」
 計画の公表から工事の着工までわずか4年。外国であれば論議を尽くすのに少なくとも10年はかかるだろうという。
 「放射能専攻に限らず、科学者は道義として、科学技術が“強さ”ゆえにつくり出す“怖さ”をきちんと伝えていく責任があると思うんです。ところが科学者は“強さ”にばかり目をつけがちで、都合が悪くなると新分野の開発に移るという構造があって、僕はそうなりたくないという思いに引っ掛かっちゃって。だからこの本には30年の蓄積と思い入れを込めています」
 科学の“強さ”はさまざまのごみ問題をもたらした、その最たるものが核のごみだろう。昨年ウィーンで開かれた国際環境保護協会主催の国際会議では、環境保護を技術面からとらえ直すには科学者と消費者の接近が不可欠であると論議されたという。
 「科学技術が進歩し過ぎた社会では、技術を作る専門家とそれを使うだけの消費者という関係の中では安全性は守れません。例えば、事故が起きた場合、何が漏れてくるのか知らないと住民は防ぎようがない。あらかじめ危険性を知っておくことが、社会の危険を防ぐ本質だろうと僕は話したんですがね」
 主に東側諸国からの出席者は技術者と市民に距離があり過ぎて環境破壊がひどくなったと語り、西側諸国の人々からは市民管理型技術の提案がなされた。
 「科学者の責任として、僕は技術と消費者の接近のために、橋渡しをしなければいけないと思っています。科学技術の問題点を具体的にきちんと批判していく人が必要なんです。日本はそういう考えが希薄で、消費者運動も僕に言わせると希薄で、橋渡しする専門家を育てようとしません。大学には企業や政府を批判できる能力を持った人間を育てる役目もあると思うんですが」
 本書は六ヶ所村の核燃料施設予定地の地質の劣悪性と、周辺に空港、空軍基地、射爆場のある立地条件から、大事故による危険性を指摘する。
 「国や推進派の資料も提示して反対論を述べたのですから、僕の考え方が間違っているなら反論してほしい。僕の論をひっくり返すほどの反論がない限り、僕の信念は変わらない。このまま建設計画が進むなら悲劇を待っているとしか言いようがありません」
 湾岸戦争の原子力施設破壊が報じられている。「平和利用と言っても、戦争になればそんなことふっ飛んじゃうんですよ」と高木さんはつぶやいた。

『信濃毎日新聞』1991年2月31日「ティータイム」欄より

書評1 書評2 書評3 書評4 書評5 目次 


資料駆使、説得的な問題作

 1986年春、ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故以降、原発からの「撤退」が世界で一般的になっている。例外は仏英両国と日本だけになったとも言われている。このような世界的動向にもかかわらず、わが国の政府は原発推進の姿勢を改めないだけではなく、核の「ゴミ捨て場・処理場」ともいうべき「核燃料サイクル施設」を青森の六ヶ所村に建設しようとしている。六ヶ所村の村長には凍結派が選出されたが、青森県知事には推進派の知事が引き続き選ばれたばかりである。
 本書は、原子力発電の功罪を一般的に論じた書物ではなく、六ヶ所村に建設中の核燃料サイクル基地に焦点を合わせ、核化学の観点からその安全性の問題を論じた書物である。
 長年にわたって国際的に収集した多くの資料を駆使して書かれた本だけあって、議論は説得的であり、文句なしの問題作と評することができよう。
 国内にかなりの数建設されている原発から出る「核のゴミ」は、原発所在地や国外に貯蔵されたままで最終的な行き場がない状態であった。その処理施設として建設が決まったのが六ヶ所村の基地なのである。ここには、施設の建設が最終的に完了すれば、高濃度の放射能をもった核廃棄物が集中することになる。
 これほど重要性をもった施設の建設が、世界的な批判の高揚にもかかわらず、かなり拙速に決まった理由は、むしろそれだけ原子力の未来がここにかかっているからであると見ることができる。六ヶ所村は、いわば日本の原子力行政の集約点なのである。
 著者は、世界中の同種の施設で起こった経験から、ここで使用される核テクノロジーが核のゴミの危険を防げるほど十分ではないと断定する。さらに巻末に付録として収録された論文で生越忠氏が指摘しているように、建設地の地盤も悪く、地震による破壊が起こる蓋(がい)然性は高い。著者は結論づける――「核燃は絶対に建設させてはならない」と。
 反論は当然予想される。政府並びに関係企業は、もし施設の建設を進める意向なら、著者の議論に誠実に理性的に対応すべきであろう。選挙による「世論」が決定したとか、まったくのアマチュア女性を関係大臣に登用するとかいった、人を愚弄する策略によって、事態を破局的な方向に進めてはならない。著者の論理は「科学的」で、悪しき感情から自由である。反論を歓迎するとも公言している。「体を張った」誠実な態度と言うべきであろう。
 未だに貧しい東北の果ての六ヶ所村は、日本の近代科学技術文明の犠牲に供されようとしているのである。科学技術がすべて悪いわけではもちろんない。それを野蛮な帰結をもたらしかねない方向から転轍し、今こそ人間の英知を集中してそれに対する理性的な態度を確立すべきであろう。われわれの科学文明にとって最も重要な象徴的とも言うべき存在が六ヶ所村の核燃施設なら、頂門の一針というべきは本書の議論であると言っても過言ではないのである。

(佐々木力)
『毎日新聞』1991年2月18日「BOOKS」欄より

書評1 書評2 書評3 書評4 書評5 目次 


大惨劇をもたらす核燃施設
とびぬけて重要な現代科学技術批判の書

 湾岸戦争の最中、日本の核兵器保有へとつながりかねないがゆえに、外国人ジャーナリストも国際的関心事として注目し取材に訪れた青森県知事選は、重要な争点たる下北半島六ヶ所村の核燃料サイクル施設計画の白紙撤回を訴える金沢茂候補が善戦及ばず涙を飲み、政府・自民党・電力業界が総がらみでテコ入れ支援した核燃推進の北村知事の四選に終わった。ちょうど折も折、「この計画がそのとおりに進行すれば、必ずや大惨劇がもたらされる」と重大な警鐘を鳴らす本書が刊行されたことの意義はきわめて大きい。

 問題の六ヶ所村の核燃計画は、@ウラン濃縮工場A低レベル放射性廃棄物貯蔵センターB再処理工場C高レベル廃棄物貯蔵施設――の“4点セット”を内容としている。本書は、まず、「その巨大な放射能・核物質の集中において世界有数のもの」であるこの核燃計画の概要と問題点を平易に解説したうえで、これら“4点セット”の科学技術的性格を一つ一つ厳密な批判的検討の爼上に乗せ、いかに事業者と政府当局の計画と安全性の評価がずさんで甘いかを具体的に指摘すると同時に、それぞれの分野での外国の資料からの証明に加えて、核化学者として著者自らのシミュレーションによって独自に危険性の評価を試みている。

 その結果は、これら“4点セット”のそれぞれからの放射能の日常放出そのものが驚くべきものだが、航空機事故・火災・地震・電源喪失などによる大事故の危険性はすさまじい。たとえば、従来「危険はたいしたことはない」と考えられていたウラン濃縮工場の事故でも、被害規模は青森県全域に及び何10万人もの人に有害なウラン被曝をもたらす。低レベル放射性廃棄物貯蔵センターも、実は決して“低レベル”でなく“高レベル”の放射能をも抱え込み、地下水汚染の危険などに加えて、航空機墜落事故による放射能放出ではやはり全青森県をカバーするような災害が予想される。
 一方、「原発1年分の死の灰を1日で出す」とも言われる再処理工場や高レベル廃棄物貯蔵施設の危険性に至っては途方もないものだ。再処理工場の大事故については、国民の3分の1に当たる何千万人もの死者を想定した西ドイツ内務省の秘密報告書のほかに、ヨーロッパ中心部の壊滅を予測するグリーンピースの評価もあるが、著者は六ヶ所村の再処理工場の独自のシミュレーションで、青森県全域の緊急避難と壊滅的打撃にとどまらず、汚染が首都圏や名古屋権にも拡大することを示し、「一度でもこのような事故が起こったら、永遠に日本の土地の多くとその上に生きる生命を失うことになる」と警告する。

 核燃計画に対する本書の科学的検証と技術批判は、具体的なデータと論拠に基づいていて、その冷静で平易な文体と共に、強い説得力を持つが、技術批判が同時に行政と法の批判にもなっていることに注目したい。というのも、核燃計画の推進において、著者が指摘するように、プレーヤー(事業者)とレフェリー(監督官庁)はまさに一体で連携プレーをとっており、核燃施設を律するべき法は法で、事業者の無法な行為を尻ぬぐいしたり先回りして容認する役割を果たしているからだ。
 この点は、本書が取り上げているウラン濃縮や放射性廃棄物処分にとどまらない。わたしが拙書『環境と生命の危機――核のゴミは地球を滅ぼす』(批評社)で批判したように、ウラン採掘とウラン残土放置から原発および再処理工場を経て各種の放射性廃棄物投棄に至る核燃料サイクルの全体について、「ジェノサイド産業としての原子力産業」を免罪し正当化する「テロルとしての法」を指摘できる。
 六ヶ所村の核燃料サイクル施設計画は、本書が解明にこれ努めている技術的な危険性に加えて、政治的な危険性をも合わせ持つ。現在、濃縮ウランとプルトニウムは世界的に過剰で、商業国のウラン濃縮や再処理は経済的に採算に合わず、各国で施設の閉鎖や計画の放棄が相次いでいるが、ひとり日本がこうした国際的動向に逆行して核燃計画に突進する背後には、本書も示唆するごとく、捨て場のない核のゴミの処分という背に腹をかえられない事情のほか、日本の政治指導者やテクノクラート集団に隠された核兵器保有の野望があると考えられる。

 すでに著者には、『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)から『巨大事故の時代』(弘文堂)まで、原子力を軸にした現代の巨大科学・巨大技術批判の好書があるが、本書は巻末の生越忠氏の地盤・地震問題の一文も含めて、科学者としての良心と道義的な責任の自覚に裏打ちされた、とび抜けて重要な現代科学技術批判の書である。

(土井淑平・エコロジスト、政治思想専攻)
『図書新聞』1991年2月23日第2043号より

書評1 書評2 書評3 書評4 書評5 目次 


 原子力資料情報室の代表として反原発運動を支えてきた著者による渾身の書き下ろし。青森県六ヶ所村で建設・計画が進行中の核燃料サイクル基地は、放射能・核物質の集中としては世界有数の規模といわれる。著者は、膨大な資料を点検した上でこの計画の科学技術的側面に的を絞って徹底して検証する。
<本書の作業で、私自身はあらためて、これまでより数倍も増してこの計画全体の恐ろしさを痛感しました>と慄然とさせるに至った“核燃料サイクル施設”とは何なのか。その具体的・構造的な解明から“事故”の可能性まで、その杜撰で危険な実態が隈無く明らかにされた本書は、原発論議に新たな一石を投じることになるだろう。生越忠の一文が付く。

『出版ニュース』1991年3月上旬号より

書評1 書評2 書評3 書評4 書評5 目次 


書評5

 青森県下北半島の六ヶ所村に建設が進められている核燃料サイクル施設(核燃)=ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物貯蔵センター、再処理工場、高レベル廃棄物貯蔵施設の四点セットが、いかに乱暴な、非科学的な、恐ろしい計画であるか、また、国と県と企業が一体になって、地元民を欺き、安全を無視して推進しているか、世界的にみてどうなのかなど、徹底的に点検し厳しく批判している。
 このままことが進めば、ものすごい量の核物質・放射能が集中されることになり、計画のずさんさ、立地の不適性のため、地元民や労働者の限度以上の被曝は不可避、大事故の可能性も高いという。
 濃縮工場は原発を認める立場からさえ不必要。「低レベル」は決して低くはないものを、劣悪な地層に埋め捨てにする驚くべき計画。「再処理」は最大の危険物。世界はプルトニウムを見限っている。「高レベル」も、ガラス固化体など、あいまいだらけ――というように、四点セットの問題点を詳しく指摘している。その語り口は非常にわかりやすく、しかも世界を見通す広い視野をもち、「核燃」問題のバイブルになろう。

『科学朝日』1991年4月号より

書評1 書評2 書評3 書評4 書評5 目次