闘いを鼓舞する志
―『高木仁三郎著作集』全12巻の刊行に寄せて―
市民運動の胎動を全面的に体現
民衆の科学のための闘いの比類なき遺産
○幾重もの構造
高木仁三郎さんが亡くなって1年経ったとはいうものの、日比谷公会堂での偲ぶ会から未だ1年にもならないと言うのに、『高木仁三郎著作集』の第4巻「プルートーンの火」が刊行され、店頭に並んでいる。思えば、幸せな人である。これこそ、高木さんの人徳のなせる業というべきであろう。
高木さんの生命ともいえる組織母胎である原子力資料情報室、高木学校は健在であり、遺徳を引き継ぐ人はたくさんいる。没後には高木仁三郎市民科学基金も創設され、彼の志を継承した新世代の科学者を育成しようとしている。しかし、やはり何かものたりない。東海村での臨界事故直後は、日本の原子力行政に対する反省の声も聞かれはしたものの、現在ではほとんど元の木阿弥といった状況に戻ってしまっている。脱原子力運動を共に担ってきたはずの人々の中からも原子力を容認しようとする「妥協派」といった論客が公然と登場してきた。高木さんが占めていた場所の高さ、大きさを改めて思わずにはいられない。
私たちが今なさねばならないことは、高木さんの闘いの軌跡をふり返り、闘いの陣形を再度整えることであろう。『著作集』全12巻は、そのための比類ない武器として役立つであろう。
高木さんの闘いは幾重もの構造から形作られていた。第一は原点ともいうべきプルトニウム利用に対する闘いであり、第二は、原子力テクノロジー総体に対する闘いであり、第三は、核兵器に対する闘いであり、第四は、もっと一般的な市民のための科学を成立させる闘いである。高木さんの人生から、これらのいずれをも欠落させるわけにはいかない。
○運動の輪の中心
高木仁三郎という科学者の登場は、多少大袈裟に言えば、日本科学史の一つの事件であった。明治・大正期に日本人は西欧近代科学を受容するだけで精一杯であった。昭和期になって、世界で第一線級の業績を挙げうる科学者が登場するようになった。その代表が、日本人で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹であった。けれども、1968年以降、人々の近代科学技術に対する目が変化した。俄然、批判的なものになったのである。その時代の良心の呼び声に応えて、闘いに立ち上がり、そしてその闘いの大義のために仆れたのが高木仁三郎という科学者であった。彼が「もうひとつのノーベル賞」の日本人最初の受賞者になったことが、彼が生きた時代性を雄弁に物語っている。
高木さんの闘いの遺産のすべてが、この『著作集』に盛り込まれているというわけではないと私は思う。彼は必ずしも文筆の人、理論家ではなかった。もちろん理論は大事にしたが、その段階にとどまることなく、潔く実践に踏み出し、たちまちのうちに運動の輪の中心になった。高木さんは、一言で言えば、運動の中核となるべき人であった。彼の著作は、彼がかかわった運動のいわば「氷山の一角」にしかすぎないのである。彼が宮沢賢治を愛したのは偶然ではない。反自然の営みに転化しつつある近代自然科学とその上にできたテクノロジーを自然本来の営みに反転させようとする市民運動の胎動を全面的に体現した人物が高木さんであった。ここで「人物」ということをとくに強調したい。高木さんの魅力は、すべてを既に知り尽くしているといった権威主義的な科学者とは異なる、常に思索し、模索しつつ、原子力に疑問を呈し続けたその人物像であった。彼と隊列を共にする同志たち、民衆が絶えなかったゆえんである。
○“賢治的感性”
1999年7月初旬、私は高木さんの主催したある会に出席した。アメリカの学会からの帰りに彼へのおみやげを携えての再会であった。私の顔を見るなり彼はある雑誌に断続的に掲載されている科学論に関する記事がともかく低水準であるというまことに率直な意見を私に告げるのであった。私は彼の意見にまったく同感であった。
私は必ずしも原子力に関する専門家ではない。が、科学論に関しては一家言以上のものを持っている。高木さんは近代自然科学を支える理性に対するある種の畏敬の念を持っていた。その上での、エコロジー的感性の復権、原子力テクノロジーに対する異議申し立てであったことを忘れてはならない。高木さんが科学史・科学哲学を専門とする私に漏らした憤懣が、私にはかなり理解できるつもりである。ポストモダニズムに染まった科学論は、近代自然科学の機械論的前提などを指摘し、反科学的スタンスを表明する。だが、現実の原子力政策などに対しては日和見主義を決め込む。高木さんは、自然への賢治的感性で、本来的自然を復権させた自然科学、民衆のためのテクノロジーといった思想を謳い上げたかったのだと思う。
とはいえ、今の私たちの目の前に実際に遺産として存在しているのは『著作集』である。「学芸は永し、人生は短し」と言ったと伝えられるのは、西洋医学の父ヒッポクラテスだが、その通り、高木さんの人生は消え失せたが、彼の書いたものは生き永らえているのである。前述のように、高木さんは、民衆のために抵抗を組織した最初の科学者として歴史の中に位置づけられる。その闘いの重要性は増大しこそすれ、低減することはない。
○指弾するための指標
『著作集』の最初に刊行された巻は、第4巻「プルートーンの火」ということになった。原子力テクノロジーの最初の犠牲者が、人工的元素であるプルトニウムに接して出たことを私たちは知っている。そして、プルトニウムは、爆縮法による長崎型原爆の、さらに高速増殖炉の燃料としても知られている。日本はこの元素による発電に固執している稀有の国として今や文字通り孤立している。プルートーンとは、ギリシャ神話で地下の富の象徴であるとともに、冥界の神を意味する。高木さんの生涯は、この元素を葬り去ろうとした闘いであったとも要約できる。プルトニウムは彼の闘いのアルファであり、オーメガでもあった物質なのである。巻末には、闘病記とともに、「友へ」と題された永久の別れの言葉も収録されている。高木さんという人間を知るための貴重な記録にほかならない。
『高木仁三郎著作集』という紙の武器を取れ! 私たち生き残った者に彼の志を思い起こさせる文章がここには一杯詰まっている。彼の志を継承すると口先では言いながら裏切る者たちを指弾するための指標がここにはある。私たちの闘いを鼓舞する志がここには潜んでいる。
佐々木 力(ささき・ちから氏=東京大学教授・科学史科学哲学専攻)
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