書 評

 高木仁三郎著作集


朝日新聞 2001年12月2日


  市民科学者として原子力利用批判に取り組む生涯を貫いた核化学者の高木仁三郎(1938〜2000)の残した著作・論文・講演・証言等を集大成した著作集(全12巻)が、七つ森書館から刊行される。その最初を飾る本巻には、81年に刊行され、原子力発電へのプルトニウム利用批判のバイブル的名著となった『プルトニウムの恐怖』をはじめ、プルトニウム問題に関連する文章や発言が幅広く収録されている。また未公刊資料として「死を見つめながら―わが闘病記」が収められている。これ以後の各巻にも青年時代のラヴレターなど、プライヴェートな未公刊資料が収められるという。

 本巻の内容は全体として、一定の学習を積めば普通の市民でも理解し活用できるよう工夫された模範的・標準的な批判論の集積である。原子力論争の一方の旗手をつとめる者として「プルトニウム物語の最後の章を書く」ことへの、著者の切実なほどの責任感・使命感が伝わってくる。

吉岡斉(九大教授)



読売新聞 2001年11月25日


本よみうり堂 井上ひさしの読書眼鏡

 もう一冊は、核化学者で、反核の活動家市民だった高木仁三郎さんの『プルートーンの火』(高木仁三郎著作集第四巻・七つ森書館)でした。

 高木さんはなにを組織したか。

「科学技術、とくに原子力科学技術の最終目標は、ひょっとしたら人類を全滅させるためにあるのではないか」と怯えるわたしたち市民に、分かりやすいコトバで理論を説き、その上で、科学の暴走を止める方法を教え、微かな希望を抱いた市民たちの、その希望を組織化してくれた。「希望の組織化」というコトバも高木さんがつくったものです。高木さんは、たとえば次のような調子で文章を書きました。

〈……高速増殖炉が実用化すれば、「打出の小槌」のようにプルトニウムがどんどん増えて、未来のエネルギーは保証されるか……高速増殖炉にウランを入れて、プルトニウムを増殖させるというのは、ちょうど銀行にお金を預けて、利息〈=プルトニウム〉を増やすようなもの……(そして)増殖計画というのは、ちょうど利息で生活しようというようなものですが、……利息を引き出して使うには、再処理というやっかいな手続きが必要です。増殖炉にたまったプルトニウムは、そのままでまた燃え続けるというわけではなく、毎年取り出しては、化学処理を施してやらなくてはならないからです。また、燃料の燃えた後の「死の灰」の後始末も大変なことです。「打出の小槌」などというと、無から有を生じるようで、誰でもとびつきたくなる話ですが、自然の法則には無から有を生じるようなことはありません。自然からあまり欲張りにものをとりだそうとすると、手痛いしっぺ返しを受ける……〉

 高度な理論を平易に砕いてくれた高木さんの親切なコトバは、いま、わたしの心の中でダイヤモンドのように硬くなり、そして希望の光を放っています。


新文化 2001年10月4日


  生涯を脱原発に捧げた“市民科学者”
 「高木仁三郎著作集」 全12巻

1960年代、日本の原子力開発の先端を担った若い科学者、高木仁三郎は、後に原子力に疑問と批判を抱き、後半生を脱原発の理論構築と反対運動に捧げた。科学は人びとが安心して暮らすためにあるべきという信念に基づき、自ら「市民科学者」を標榜して、その生き方を模索し続けた高木は、昨年10月、62歳の若さで世を去った。

 遺された多くの論文、エッセイ、小説、記録などの著作を集成した「高木仁三郎著作集」(花崎皋平、小木曽美和子、鎌田慧、佐高信他編、全12巻)が、10月8日、七つ森書館から刊行される。収録作品は著者が遺した著作目録に基づいており、公刊された全ての著作と、新聞、雑誌などに掲載された文が中心。その他、人となりを物語る未公刊資料一闘病記、手紙、初期の著作、メール、ビラ、レジュメなども収録される。

 科学者・市民運動家として、精力的に研究や活動を続けた著者の志を、多くの読者に分かりやすく伝えるため、本シリーズは全体に8つのテーマを立てて作品を分類、年代順に配列する方法をとっている。・脱原発論(1〜3巻)、・プルトニウム論(4巻)、・核燃料サイクル論(5巻)、・反核/エネルギー論(6巻)、・科学・文明・運動論(7〜9巻)、・科学読み物・小説(10巻)、・子ども向け読み物(11巻)、・論集(12巻)という構成。底本は最終発表に拠る。

 脱原発はいま世界的な潮流となり、日本でも新潟・刈羽村での、住民投票によるプルサーマル反対決議など、市民運動が結実しつつある。そのなかで、理論的・精神的支柱であった著者の業績が集成され、出版される意義は大きい。第1回配本は第4巻『プルートーンの火』で、以後隔月に1点ずつ刊行する。A5判、上製、函入り、各500〜700ページ、本体価格は各6500円。



週刊読書人 2001年11月23日


    闘いを鼓舞する志
    ―『高木仁三郎著作集』全12巻の刊行に寄せて―


    市民運動の胎動を全面的に体現
    民衆の科学のための闘いの比類なき遺産


○幾重もの構造

 高木仁三郎さんが亡くなって1年経ったとはいうものの、日比谷公会堂での偲ぶ会から未だ1年にもならないと言うのに、『高木仁三郎著作集』の第4巻「プルートーンの火」が刊行され、店頭に並んでいる。思えば、幸せな人である。これこそ、高木さんの人徳のなせる業というべきであろう。

 高木さんの生命ともいえる組織母胎である原子力資料情報室、高木学校は健在であり、遺徳を引き継ぐ人はたくさんいる。没後には高木仁三郎市民科学基金も創設され、彼の志を継承した新世代の科学者を育成しようとしている。しかし、やはり何かものたりない。東海村での臨界事故直後は、日本の原子力行政に対する反省の声も聞かれはしたものの、現在ではほとんど元の木阿弥といった状況に戻ってしまっている。脱原子力運動を共に担ってきたはずの人々の中からも原子力を容認しようとする「妥協派」といった論客が公然と登場してきた。高木さんが占めていた場所の高さ、大きさを改めて思わずにはいられない。

 私たちが今なさねばならないことは、高木さんの闘いの軌跡をふり返り、闘いの陣形を再度整えることであろう。『著作集』全12巻は、そのための比類ない武器として役立つであろう。

 高木さんの闘いは幾重もの構造から形作られていた。第一は原点ともいうべきプルトニウム利用に対する闘いであり、第二は、原子力テクノロジー総体に対する闘いであり、第三は、核兵器に対する闘いであり、第四は、もっと一般的な市民のための科学を成立させる闘いである。高木さんの人生から、これらのいずれをも欠落させるわけにはいかない。 

○運動の輪の中心

 高木仁三郎という科学者の登場は、多少大袈裟に言えば、日本科学史の一つの事件であった。明治・大正期に日本人は西欧近代科学を受容するだけで精一杯であった。昭和期になって、世界で第一線級の業績を挙げうる科学者が登場するようになった。その代表が、日本人で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹であった。けれども、1968年以降、人々の近代科学技術に対する目が変化した。俄然、批判的なものになったのである。その時代の良心の呼び声に応えて、闘いに立ち上がり、そしてその闘いの大義のために仆れたのが高木仁三郎という科学者であった。彼が「もうひとつのノーベル賞」の日本人最初の受賞者になったことが、彼が生きた時代性を雄弁に物語っている。

 高木さんの闘いの遺産のすべてが、この『著作集』に盛り込まれているというわけではないと私は思う。彼は必ずしも文筆の人、理論家ではなかった。もちろん理論は大事にしたが、その段階にとどまることなく、潔く実践に踏み出し、たちまちのうちに運動の輪の中心になった。高木さんは、一言で言えば、運動の中核となるべき人であった。彼の著作は、彼がかかわった運動のいわば「氷山の一角」にしかすぎないのである。彼が宮沢賢治を愛したのは偶然ではない。反自然の営みに転化しつつある近代自然科学とその上にできたテクノロジーを自然本来の営みに反転させようとする市民運動の胎動を全面的に体現した人物が高木さんであった。ここで「人物」ということをとくに強調したい。高木さんの魅力は、すべてを既に知り尽くしているといった権威主義的な科学者とは異なる、常に思索し、模索しつつ、原子力に疑問を呈し続けたその人物像であった。彼と隊列を共にする同志たち、民衆が絶えなかったゆえんである。

○“賢治的感性”

 1999年7月初旬、私は高木さんの主催したある会に出席した。アメリカの学会からの帰りに彼へのおみやげを携えての再会であった。私の顔を見るなり彼はある雑誌に断続的に掲載されている科学論に関する記事がともかく低水準であるというまことに率直な意見を私に告げるのであった。私は彼の意見にまったく同感であった。

 私は必ずしも原子力に関する専門家ではない。が、科学論に関しては一家言以上のものを持っている。高木さんは近代自然科学を支える理性に対するある種の畏敬の念を持っていた。その上での、エコロジー的感性の復権、原子力テクノロジーに対する異議申し立てであったことを忘れてはならない。高木さんが科学史・科学哲学を専門とする私に漏らした憤懣が、私にはかなり理解できるつもりである。ポストモダニズムに染まった科学論は、近代自然科学の機械論的前提などを指摘し、反科学的スタンスを表明する。だが、現実の原子力政策などに対しては日和見主義を決め込む。高木さんは、自然への賢治的感性で、本来的自然を復権させた自然科学、民衆のためのテクノロジーといった思想を謳い上げたかったのだと思う。

 とはいえ、今の私たちの目の前に実際に遺産として存在しているのは『著作集』である。「学芸は永し、人生は短し」と言ったと伝えられるのは、西洋医学の父ヒッポクラテスだが、その通り、高木さんの人生は消え失せたが、彼の書いたものは生き永らえているのである。前述のように、高木さんは、民衆のために抵抗を組織した最初の科学者として歴史の中に位置づけられる。その闘いの重要性は増大しこそすれ、低減することはない。

○指弾するための指標

『著作集』の最初に刊行された巻は、第4巻「プルートーンの火」ということになった。原子力テクノロジーの最初の犠牲者が、人工的元素であるプルトニウムに接して出たことを私たちは知っている。そして、プルトニウムは、爆縮法による長崎型原爆の、さらに高速増殖炉の燃料としても知られている。日本はこの元素による発電に固執している稀有の国として今や文字通り孤立している。プルートーンとは、ギリシャ神話で地下の富の象徴であるとともに、冥界の神を意味する。高木さんの生涯は、この元素を葬り去ろうとした闘いであったとも要約できる。プルトニウムは彼の闘いのアルファであり、オーメガでもあった物質なのである。巻末には、闘病記とともに、「友へ」と題された永久の別れの言葉も収録されている。高木さんという人間を知るための貴重な記録にほかならない。

 『高木仁三郎著作集』という紙の武器を取れ! 私たち生き残った者に彼の志を思い起こさせる文章がここには一杯詰まっている。彼の志を継承すると口先では言いながら裏切る者たちを指弾するための指標がここにはある。私たちの闘いを鼓舞する志がここには潜んでいる。

佐々木 力(ささき・ちから氏=東京大学教授・科学史科学哲学専攻)





東京新聞 2004年8月22日


 70年前後の学園紛争を機に大学を辞し、市民の立場から核=原子力問題について発言し続けた高木仁三郎の『核時代を生きる―生活思想としての反核』(著作集6)や『プルトニウムの恐怖』(著作集4)は、その意味で現代社会がいかに「核」の存在と深く関係しているかをやさしく総合的に書き記したものであった。これらの書物で高木は、広島・長崎への原爆投下を導き、核時代の到来を決定したマンハッタン計画や、ネバダ砂漠での核実験で生まれたアトミック・ソルジャー(被爆兵士)、ビキニの核実験による現地の犠牲者、さらにはソ連時代にウラルで起こった核被害(「ウラルの核惨事」と言われている)、各地で行われている核廃棄物の投棄、猛毒を持ったプルトニウム――などの実態を明らかにする。すでに日本が、「唯一の被爆国」と言えなくなっている現在の核状況を示している。
 「神」のごとく私たちの頭上に君臨する「核」は、もはや人間の手(能力)ではコントロールできない状況になっている、と言っておいていいのかもしれない。

(黒古一夫=文芸評論家・筑波大学大学教授)



読売新聞 2004年5月30日


 市民科学の夜明け

 原子力利用などに批判的立場から取り組んだ市井の科学者、高木仁三郎(1938〜2000)の著作集(全12巻、七つ森書館、各6500円)が完結した。利便性を追求する現代の科学技術の「影」の部分を長年見つけ続けた著者は晩年、市民の立場から解決策を示そうと「市民科学」を提唱した。その思想と活動実践を詳細に記録した本全集は、貴重な歴史的ドキュメントといえる。