脱原発シリーズ2
巻原発・
住民投票への軌跡

桑原正史・桑原三恵 著
定価3500円+税
四六版 並製 408ページ
2003年刊
ISBN 4-8228-0374-0


新潟県巻町の住民投票で原発計画を断念させるに至る克明な記録。

■著者からのメッセージ
 この度、七つ森書館から『巻原発・住民投票への軌跡』を上梓することができました。
巻町が原発建設をめぐる住民投票を実施し、建設反対が町の総意と確認されてから8年、未だに東北電力は、住民投票などなかったかのように、毎年「建設計画」を発表し、政府もそれを承認しています。
あの住民投票に至るまで、巻町の住民は20余年もの間、それぞれに日々の生活を抱えながら幾重もの山道をたどり続けました。「危険な原発はいらない、自分達の町の将来は、自分達で決めたい」、その思いが人々の心を結び、言葉となって山道をたどる勇気を町の中に生み出してきました。しかし、執筆を重ねるなかで、「町の将来は自分達で決める」というあたりまえのことを実現するために、なんと多くの時間と労力が必要であったことかと、あらためて思いました。
この本のなかで、「上」からのおしつけではなく、そこに暮らす人々による自立の民主主義を求めて、人々がどのように思考し行動したかを、皆さんにお伝えできれば幸いです。そして自立の民主主義を求めるいっそう多くの方々の声と力が未来の平和を築き、たとえばアフガニスタンやイラクの戦火に苦しむ人々の未来を開くことにもつながれば、私どもの無上の喜びです。
どうぞ、最後までお読みいただいて、ご批判をお願いいたします。                           
桑原正史
桑原三恵

■目次
はしがき

第一章 ねらわれた町
1 角海浜
2 反対運動のはじまり
3 攻防の構図
4 手続きの進展
5 「国策」への暴走

第二章 原発のない住みよい巻町をつくる会
1 声の会
2 原発のない住みよい巻町をつくる会
3 婦人だより
4 町の中へ

第三章 計画凍結
1  長谷川町政(1982年〜1986年
2 一期目の佐藤町政(1986年〜1990年)
3 二期目の 佐藤町政(1990年〜1994年)

第四章 自主管理の住民投票から条例制定へ
1 13万羽の折り鶴
2 自主管理の住民投票
3 住民投票条例制定

第五章 住民投票へ
1 町長リコール
2 住民投票

第六章 新生への道のり
1 住民投票以後の巻町
2 越えてきたもの

あとがき

資料 巻原発反対運動 略年表
   巻原発一号機の建設着工予定年度と
   運転開始予定年度の変更一覧表


■立ち読み
はしがき
 1996年8月4日、新潟県巻町で巻原発計画をめぐる住民投票が実現した。巻町は新潟市に隣接する人口三万人あまりの町である。対岸に佐渡をのぞみ、海岸線にそっておだやかな山なみがつづく。主峰は標高482メートルの角田山。その稜線を北に下りきったところから新潟市方面に向かって砂丘がのびている。山なみと砂丘の東側は米どころ新潟県でも有数の水田地帯。その中ほどに巻町の人口の約半分があつまる市街地が形成され、平野・山麓・砂丘・海岸の各所に集落が点在している。30年前の巻町の人口はおよそ27000人だったから、人口は微増傾向にある。
 その巻町で住民投票が実現した日、アメリカ南部のアトランタではオリンピックが最終日を迎え、谷口浩美が出場する男子マラソンが注目をあつめていた。しかし、その日、巻町ではほとんど誰もオリンピックのマラソンを気にかけていなかっただろう。住民投票の行方に関心が向かっていたからである。結果は原発反対61・2パーセント、原発賛成38・8パーセント、投票率は88・3パーセントであった。開票の夜、喜びにわきかえる原発反対派の事務所のようすが全国にテレビ中継され、翌日も多くの朝刊が一面トップで住民投票の結果を伝えた。巻原発計画が表面化してから27年、巻町民がようやくたどり着いた住民投票であった。
 その住民投票から7年。巻原発計画が表面化してから34年におよぶ巻原発反対運動の経過はおおよそ次の三期に分けられる。
 第一期は、巻原発計画の存在がはじめて報道された69年から、東北電力が通産省に一号機の設置許可申請を提出した82年までの約14年間。このころ巻原発反対運動は、保守勢力が圧倒的に優位をしめる政治風土のなかで「原発賛成=保守系のふつうの町民」、「原発反対=一部の革新系か変わり者」という枠ぐみのなかに押しこまれ、79年3月に起きたスリーマイル島原発の事故も巻町の情勢を変える契機にならなかった。もちろん、町民のなかに原発に対する不安や疑問がなかったわけではない。しかし、長いものにまかれて黙って生きることが平穏を約束するような、あるいは、長いものの尻尾に上手につらなることが才覚であるような風土のなかで、多くの町民は地域社会の秩序や人間関係の安定をみだす「シャバこわし」と名指しされないように注意ぶかく暮らしていた。そのため巻原発計画は、ごく少数の人々による献身的な反対運動にもかかわらず、あたかも抗しきれない天命のように受容されようとしていた。
 第二期は、反対派の共有地が一号炉の安全審査を中断に追い込んだ83年ごろから93年ごろまでの約11年間である。このころ、巻原発計画は未買収地問題の解決がつかず、ほとんど手続きが進展しない凍結状態におちいった。もちろん、いま振り返ってみれば、この時期にも大きな危機があったが、東北電力の動きがにぶり、推進派のしめつけが弱まるなかで、多くの町民はチェルノブイリ原発の事故の悲惨や国内のさまざまな原発事故をみた。やがて巻原発反対運動に対する共感がゆっくりとはぐくまれ、90年8月の町長選挙では二人の推進派の候補がともに「原発政策の凍結」を公約して競いあうような事態が出現した。こうして町民のなかに「ひょっとしたら巻原発はできないかもしれない」という期待をこめた安堵感や、「本当は原発なんかない方がいいんだ」というホンネが静かに広がりはじめた。しかし多くの町民は、なお「巻原発反対」と広言することをためらっていた。
 第三期は、94年から現在までの約10年間である。東北電力と通産省は90年ごろ、計画推進の障害になっていた反対派の共有地を予定地から除外する方針を確定したらしく、91年ごろから活動再開の気配を示し、94年以降、ふたたび町内の推進派をまきこんで強力に巻原発計画を推進する姿勢をあらわにした。しかし、こうした動きに対抗するように、いったん安堵感を味わった町民の間に違和感が高まり、「原発反対」や「住民投票の実現」をめざす新しい住民運動がつぎつぎに誕生した。この新しい動きと第一期あるいは第U期からの反対運動がときには競合しながら直接間接に連携するなかで、巻町民は96年8月に住民投票を実現し、「原発反対」という総意を示した。しかし、国や東北電力はその後も巻原発計画を撤回せず、町内の推進派は今なお多くの町民を拘束する力を持っている。そのため巻原発問題は、いまも予断を許さない状況がつづいている。
 ところで、巻町の住民投票については、すでに多くのジャーナリストやルポライターが報告し、社会学や政治学の研究者による論考も少なくない。しかし、長年にわたって巻原発計画をとめたいと願い、町民に呼びかけつづけてきた者の一員として、私たちにはぜひ書きとめておきたいことがある。まだ多くの町民がはっきりと「原発反対」と言えなかったときにも、耳を澄ませば小さな声が響いていたし、その声が共鳴しはじめたときにも、巻町民はなんのためらいもなく「巻原発反対」と叫んでいたわけではなかった。もし、住民投票を実現したことが巻町民にとって大きな意義があるすれば、それは得られた結果もさることながら、一人一人の町民がさまざまなシガラミと逡巡を乗りこえて新たな自分を誕生させていった点にあるだろう。その町民の逡巡や産みの苦しみを、そして、住民投票を実現したときの喜びを、ぜひ、町民の一人として記録しておきたい思いがある。
 なお、本書の構成は正史の案によるが、筆者らが巻原発反対運動に深くかかわるようになったのは、第一期の終りに近いころからである。したがって、私たちは第一期の反対運動をほとんど体験として語ることができない。そのため、第一期については小林伸雄『ドキュメント・巻町に原発がきた』(朝日新聞社・1983年)などの先行著書や諸資料によって正史が経過をまとめ(第一章)、第二期と第三期のうちの住民投票実現までを、適宜、正史と協議しつつ三恵が体験的に記述し(第二章〜第五章)、その後の状況を正史が報告することにした(第六章)。そのため、全体として体裁がふぞろいになったが、記述に馴れない私たちが執筆しやすいスタイルを採ったことをご了解いただきたい。
 本書は、あくまでも私たちが見、そして体験した巻原発反対運動の記録である。したがって、多くの町民が本書とは異なる視点から「それぞれの巻原発反対運動」を語ることができるだろう。しかし、本書が多少なりとも巻町民の逡巡や喜びを伝えることに成功し、また、20世紀末の東日本の小さな町に、なぜ、何が起きたのかを読み解く素材となって、いまも各地でさまざまな住民運動に取りくんでいる人々に何らかのメッセージを発することができればさいわいである。

2003年10月
桑原正史