市民科学ブックス 5

海の声を聞く
原子力発電所 温排水の観測25年

斉藤 武一 著
定価:2000円+税
四六判 並製 280ページ
2002年刊 
ISBN 4-8228-0369-4



はじめに
プロローグ

第1章 海へ通う(1977〜1978年)
海がいっぱい
原発との出会い
故郷に逃げ帰る
水温観測にたどりつく
水温観測を開始する
親友が故郷に戻る
生態学の勉強会

第2章 迷いながら(1979〜1982年)
迷いがでる
突然の計画変更
臨時保父となる
水温の先生 現れる
岩内原発問題研究会との出会い
冬の海へ
原発反対と言えない
悩みながらの水温観測
漁師が誇りを失った日
公開ヒヤリング
個人気象台が完成する

第3章 充実した五年間(1983〜1988年)
みかんと障害児保育
泊村での観測
年間平均水温が出せた
真冬の防波堤
水温観測7年目
水温観測が新聞に紹介される
海は危険がいっぱい
母が理解してくれる
三月事件、決断を迫られる

第4章 夢が光り輝く(1988〜1998年)
表立って行動する
全国に水温記事が配信される
北海道知事との会見
最大の危機
映画に出演する
ブイの故障を突き止める
温排水パンフレット
『週刊プレイボーイ』に掲載される
原稿と講演の日々
タービン事故と風評被害
沿岸水温が国際的に認められる
海霧と温排水の関係
北海道南西沖地震が起きる
森のミネラルはどこに消えた
初雪を予測する
ホタテ全滅事件
冬の防波堤で転ぶ
積丹半島の美しさの秘密
環境アセスメントへの疑問
置き忘れ事故が発生
裁判長と視察する
ルポライター鎌田慧さんとの出会い
画家木田金次郎の生涯を書く
村の公報に掲載される

第5章 故郷の海を守りたい(1999〜2003年)
極秘の水温観測
温排水によって水温が上昇?
岩内のスケソウ激減の謎
「ニュースステーション」の取材
わたしの水温データの価値
「ニュースステーション」の反響
荒れ狂う日本海
国連大学へ行く
大学のゼミの若者達
鎌田慧さんとの再会
観測25年目に入る
論文を書くまで
論文との格闘
温排水の正体

エピローグ

市民論文「北海道電力泊原子力発電所における
         温排水による沿岸水温の上昇について」

資料

おわりに

はじめに

 壮大な決意で温度計を手にして家を出ると、外は雪でした。舞い散る春の雪を眺めながら、わたしは、「今からやらねば間に合わない」と海に向かって行きました。それは、1978年3月23日、25歳の時の事でした。

 北海道の日本海側の港町・岩内町に生まれ育ったわたしの周りには、いつも「海」がありました。小さい頃から海辺で遊んでいましたし、魚屋で働いている父が帰ってくると家中が魚臭くなり、食事の度に魚がどっさりと出ます。そして、漁師の伯父達が家に出入りし、出漁を見送るという具合ですから、わたしのそばにはいつも海がありました。
 やがて、地元の高校を卒業して、東海大学工学部電気科に進学しました。2年生までは教養過程として札幌校舎で過ごしました。1974年、東京の本校に通っていた21歳の時、わたしは原発の本をはじめて読みました。それでようやく、地元の漁師が「原発の温排水で海がダメになる」と原発に反対している意味がわかりかけてきました。夏休みに北海道へ帰り、港に行ってみると、故郷の海はいつもと同じように光り輝いています。わたしは、このまま故郷の海が変わることなくあり続けてほしいと、祈るような気持ちで海を眺めていました。
 1977年、大学を中退して24歳で故郷に帰ると、わたしは原発から出される温排水について勉強をはじめました。
 原発は、ウランの熱で水蒸気を作り、水蒸気の力で歯車のようなタービンを回して電気を作る仕組みになっています。水蒸気を水に戻す機械を復水器といいますが、タービンを回し終えた水蒸気は、この復水器に導かれていきます。水蒸気は、海水によって冷やされて水(30℃)に戻り、再び原発の中を循環していきます。一方、水蒸気を冷却するために取り込まれた海水は、復水器を通過して行く間に水蒸気によって温められ7℃ほど高くなり、海へ排水されます。排水された温かい海水のことを温排水と言います。
 温排水にかかわる問題はたくさんあります。海水とともに吸い込まれたプランクトンや魚の卵や稚魚は、復水器を通る間に温度ショックや機械的なショックで半数が死滅すると言われています。そして、温排水が大量に排水されることで沿岸の水温が上昇し、漁業に被害を与える可能性が高く、また潮の流れをも変える恐れがあります。さらには温排水の持つ膨大な熱が地域気象にも何らかの影響を与える可能性があるのです。温排水には、微量ながら放射能や一般の工場と同じく産業廃水も含まれています。
 このように温排水の問題の根深さを知れば知るほど、故郷の海を心配する気持ちは、なんとしてでも原発から海を守らなければならないという思いに変わっていきました。しかし、海を守るといっても、どうすればいいのか具体的な方法となると、見当もつきませんでした。それでもずっと考え続けていました。そして、故郷に戻ってから一年程過ぎた頃です。海を守るためには少なくとも温排水の影響を調べなければならないと考え、水温を観測することを思いついたのです。
「誰も海への影響を調べようとはしていない。それなら自分がやればいいのだ。これから30年間、一人で海に通ってみせる」
 そう思い立ちました。けれども、あまりにも目標は大きすぎて「無理だ。一人で何ができる」という諦めがわき上がってきました。けれども、自分なりに海を見守る方法を見つけた以上、不可能と思いながらも目的に向かっていくしかありません。
 わたしは、運転前と運転後の水温を比較することで温排水の影響を明らかにすることができると考えました。そのためには、運転される前の水温がどのような状態であるのかを事前に十分に観測しておかなければなりません。
 天気予報では平年並という言い方をしますが、これは30年間の平均値を言います。気象では30年を一つの基準と考えているのです。運転前の水温の基準を求めるには、気象にならって本来なら原発が運転される30年前から水温を観測することが望まれます。水温の変化を把握するのには最低でもその位かかるのではと思いました。
 1978年冬の時点では、地元の漁協の反対によって、原発建設は延び延びとなっていました。このまま延期が続き最終的に中止となることを願っていましたが、情勢が変わり原発が数年以内に着工されるかもしれません。しかし、着工されてから水温観測をはじめたのではもう遅いのです。先のことはわからなくとも、海を守る準備をはじめるべきだと思いました。
 こうして、温度計を持ってはじめて海と向かい合った日から25年という年月が過ぎ、今年でわたしは50歳となりました。