|
自然のふしぎに出合い、そこから子どもたちが広い世界に入っていくように導く安河内功(岡山)。生命の大切さを地球史の中で語りかける片桐健司(東京)。自分は誰か、地域と仲間たちと確かめていく大森範子(三重)。教師と子どもたちが共鳴し、学校が楽しいもの、意義あるものとなっている姿を見ることができる。小学校のみごとな実践である。
中学校理科で岩間滋(岩手)は、本当にわかるとは、と授業に工夫を凝らす。教科書や書かれたものからは汲みとれない自然理解を具体物を活用して、感覚的にも深めていく。四国の清流―四万十川中流域の中学校で矢野川清(高知)は、地域の保護者たちを巻き込んで総合学習を展開する。生徒たちは道具や材料を学び、伝統の知恵を受け継ぎながらカヌーづくりを楽しむ。 高校理科は大学受験との間で悩みが深い。進学希望の生徒にとっても有用な授業実践の例が佐藤琢夫(岩手)と米田雅人(石川)の取り組みである。教師の側の日々の勉強ぶりが授業に反映し、生徒たちが、それぞれ全身で受けとめる。現代社会が科学技術で首根っこをおさえられている現実を生徒たちが、理科の知識を通して理解していく。大学の講義も真っ青というレベルだ。高校でこういう先生に出会えた生徒は幸せだと思う。
小学校で長年にわたって先進的な理科教育を実践してきた熊沢文男(秋田)は、戦後教育をふり返りながら、そして地域の自然に目を向けながら、これからの理科教育のあり方を示唆する。時間短縮、能率優先思想の文部科学省や国家官僚のやり方では社会は持続しないと、実例をあげながら説く。
盛口襄(千葉)は編者の一人だが、知られた高校化学の先生である。高校化学の現場から小・中・高を通して化学教育のあり方を論じてもらった。盛口はどこまでも「もの」にこだわる。物質の世界を通して化学を見、社会を見る。理論や思想は不変ではない。「もの」こそが基盤であると考える。
盛口は化学を通して教育を考えている。物理学や生物学や地学や旧来の理科の分類のそれぞれの立場から、盛口のような議論が欲しい。が、いまだそれは無い。今後の課題である。
|