ゆっくり、時間を長く
ソフトランディングの科学

著者 池内 了
定価 1700円+税
四六判 上製 224ページ
ISBN 4-8228-0614-6


    

    

プロローグ

第一章 わが家の暮らし
    新築したわが家が及ぼした影響
      日曜日の床磨き・太陽光発電・柿渋を塗る
      バリアフリーの長短・井戸水・中水の利用・温水の利用
    わが家の暮らし
      電気製品・日常の品々・書籍
    その他のこと
      ゴミの処分・公共交通機関の利用・家計簿

第二章 恒環境動物となった人類
    動物のデザイン
      共通する法則・段階的な生物の進化と人類
    エコロジカル・フットプリント
    共有地の悲劇
    地球温暖化のフィンガープリント
    「疑わしきは罰する」原則

第三章 地下資源文明
    人類が経た「革命」
    「革命」の共通性
    地下資源文明
      上流は無限?・イースター島の教訓──上流は無限ではない
      下流も無限?・地球環境問題──下流も無限ではない
      パラドックス
    環境圧
      環境圧とは
    ハードランディングの悪夢

第四章 ソフトランディングのために
    循環の思想
      宇宙の営み・地球の営み・生命の循環
      循環型社会
    地上資源文明へ
      太陽エネルギーの直接利用・バイオマス・エネルギーの利用
      小型化・多様化・分散化の技術の検討
      大型化・一様化・集中化の技術体系
      小型化・多様化・分散化の技術

第五章 私たちにできること
    身近なところから世界を広げる
    1M4Rの生活
      1M・4R・環境に優しい行為を一つずつ
      「……しない」の原則・「……をやってみよう」の精神
      決意せる消費者

第六章 ゆっくり、時間を長く
    Slow
      時間との競争・ゆっくり、ゆったり
      Long Time─Horizon
      Time─Honored

エピローグ


エピローグ

 地球環境問題については、あちこちの講演でしゃべったり、短い文を雑誌に書いてきたりしたのだが、まとめて本にするのはこれが始めてである。だから一冊の本になるほどの系統立った材料があるかと心配したけれど、なんとかここまで辿り着くことができた。書き始めると意外にスムースに進めることができたのは、日頃からアレコレ考えていたことが溜まっていたためだろう。
 ところで、地球環境問題について声高に語ろうとすると、「オオカミ少年」であるかのように見られることがある(私はもう「少年」ではないが)。余分な恐怖を煽り立てて、安寧な生活に不安感をかき立てようとする不埒な人間というわけだ。あるいは、まだそれほど緊迫してはいないのに、なぜそんなに騒ぎ立てるのか、「心配し過ぎ、杞憂」だと揶揄されることもある。いずれ科学技術が発達して解決してくれるさ、と楽観的なのである。
 私自身、「オオカミ老人」のつもりではなく、天が落ちてくると「杞憂」しているわけでもない。今すぐに何事かの異変が起こるとは考えていないからだ。しかし、このまま何もしないで一〇年が経ち、アレコレ考えているだけで三〇年の時間が経ってしまうと、もはや取り返しのつかない「悲劇」が訪れるだろう、そう思っているだけのことである。一〇年先は生きておれそうだが三〇年先にはもはやこの世にいないのだから、私にとってどうでもいいようなものだが、やはり警告を発しておかねばならないという気持になってしまう。来るべき「悲劇」をもたらす元凶は私たちの世代であるからだ。だから、たとえアリバイであっても、時間を先取りして予告しておかねばならないと思うのである。
 また、少しは未来を考えている一人の人間が、どういうことを実践しながら地球環境問題と格闘しているかを伝える義務もあるのではないか、と考えたこともある。いまはたんなる自己満足にしか見られないかもしれないが、そのうちに必ず多くの人たちが実践するようになるだろうという確信があるからだ。本書にも書いたように、いずれ環境圧が強くなり、人は変わらざるをえなくなることは必至なのである。そのような事態になっても慌てることなく、スムースに時代に対応していける心構えをしておかねばならない。そして資源獲得のための戦争に至ることなく、平和のうちにソフトランディングできる社会でありたいと思う。そのために、いま私たちに何ができるか、どのような手を打っておくべきか、を一緒に考えてみたかったのである。
 といって、大げさなことを言っているのではない。じっくり地球の現状を観察し、現在の生き様を考え、どのような未来が待ち受けているかを考えれば、このままでもよいとは誰も思っていないはずである。どこかで変わらねばならないと思っているのだ。しかし、何をすべきかわからないのが本当のところだろう。個人でチマチマやっても何にもならない、政治が変わらなきゃどうしようもない、というわけだ。どこかに後ろめたさを抱えつつ、それを振り切って知らん顔して生きているのが私たち庶民なのである。

 そこで、そのような人びとにエールを送り、普段の生活を足下から見直し、自己満足であろうとやれるところからやってみようよ、と呼びかけるつもりで書いたのが本書である。肩肘を張らずに自然体で自分の内部にあるエネルギーを引き出し、安逸に慣れたスタイルから抜け出るきっかけになればと思ったのだ。
 第一章は、私が実践している省エネルギーの暮らしを紹介した。環境問題をむつかしく考えず、気楽に取り組もうよと呼びかけたつもりである。この程度なら私もできると受け取ってもらえたら言うことがない。  第二章では、さまざまなエピソードを使って、現在の人類がどのような状況にあるかを考えてみることにした。地球環境問題は産業革命以来の人類の活動の集積なのだが、いよいよ緊急の課題になりつつあることを述べたかったのである。
 第三章と第四章では、どういう思想を持ち、どのような意識で進むべきか提案することにした。それは宇宙や地球や生命が経てきた「循環」と「進化」の考え方であり、その論理に従って私たちも生き方を見直そうと呼びかけたいためである。私たちの前途には、何もしないままハードランディングを迎えるのか、少しずつ手を打ってうまくソフトランディングするかの、いずれかの道が待っている。環境圧が強くなる中で、私たちは変わらざるをえないのは自明なのだが、それをいかに柔軟に受け入れ生活スタイルを変えていくかが問題となるだろう。
 第五章では再び私が日常的に行っていることを紹介し、第六章では私の生活上の目標のようなものを掲げている。共感していただける部分も多いのではないかと思っている。

   省エネルギーの暮らしの第一の効用は、心身が健全になるということである。省エネルギーに少しでも寄与でき、環境に優しい行為を積み重ねている、そんな心の内の自信が日々を健康に生きる糧となるからだ。自分の体を動かして生活の隅々まで点検することによって、怠慢になった肉体を鍛え直せるという効能もある(それほど大げさではないが)。さらに、未来への責任を考えるという、人類はじめての体験を先取りしている感覚も生まれる。まだ見ぬ子や孫のために植樹をした先人たちの心持ちを共有する気分で、何か嬉しい気持になるものである。もはや私はいなくても、その痕跡が生き残り、なにがしかの役に立っていると想像するのは楽しいからだ。
 そのような別の世界の自分を再発見するような動機であってもかまわないと思っている。人生に慣れてしまった自分から一歩違った方向へ踏み出せ、新鮮な自分を取り戻すことができるからだ。日常の「循環」を繰り返しながら、少しは「進化」もしていることを実感するのも悪くないだろう。宇宙や地球や生命が「循環」と「進化」の組み合わせで成立しているように、人生も「めぐり」ながら「すすむ」ことを味わえるというものである。この世はすべてラセン階段を登っていると譬えられるかもしれない。(このままで行けば、奈落に向かってラセン階段を降りていくことになりかねないだろう。)
 そのような意図で、かつ少しでも同志が増えることを願って書いてみたのだ。むろん、環境問題を論じた本は多く出版されており、多角的な分析がなされている。いまさら付け加える部分がありそうには思えなかったが、自らが実践していること、講義でしゃべっていること、講演などで説いていること、それらを合体させればそれなりにユニークな本になると煽てられたのだ。だから、自分が実践していることと宇宙の循環は飛び離れているように見えるかもしれないが、私の中では結びついている。私たちは、一三八億年の宇宙進化の結晶であり、四六億年の地球の歴史の貴重な産物であり、三八億年の生命の歩みを刻印している存在なのである。そのような自らの歴史性を強く意識しつつ、現在をきちんと生き、未来に託するものを準備していきたい、そのような願いを本書に込めている。
 と言いつつ、自分がいい加減であることに気づかされることも多かった。こうすべきだとは思っても安逸さに負けて実行していないことが多くあるし、日頃強く批判しながら自分として止められないことも多くあるからだ。それに対しては、人間は完全ではないのだからと居直ったり、あまり無理をすると長続きしないよと自分を甘やかしてもいる。おそらくトコトン考え詰めれば原始生活に戻らねばならないことになってしまうだろう。それはとても耐えられそうにないし、現実的でもない。可能な範囲でやれることを見出しながら進み、時間が経ってみればこんなに沢山できるようになったと言えればいいのではないか。そう思うことにしている。
 そこでキーポイントとなるのは、人間がいったん手にした技術を有効に使いながら自然と調和することを考える、という課題だろう。技術礼賛主義で新たな技術を追っかけてばかりいると、人間は自然から解離した存在になってしまう。「もうこれ以上は結構」というRefuseの精神を養わねばならない。ハイテクばかりを待望するのではなく、ローテクで満足して体を使うことを知る必要もあるだろう。長持ちし修理の効くローテクが私たちの生活に似合っているのである。
 それと反対のことのようだが、環境と人間に調和した省エネルギーの製品とする技術の追求も忘れてはならない。小型化・分散化・多様化の技術をもっと推進し、「お任せ」ではなく自分で責任を持てるシステム作りを図るのである。大型化・集中化・一様化の技術に慣れた現代においては、そのような技術を開発する方が困難を伴うだろう。だからこそチャレンジングなのだ。技術を拒否するのではなく、身丈に合った技術を求め続けることが大事と言える。

 そんなことを考えながら本書を書き続けた。本書を書くにあたって、七つ森書館のみなさんにお世話になった。感謝します。

(書評1)
 地球と共生できるつつましい生活スタイルを獲得しよう、と宇宙物理学者の著者は言う。省エネ設計した自宅での暮らしや、柿渋の利用など身近にできる実践を紹介。時間に追われるテクノロジー社会から少し退いて「減速する」暮らしを提案する。

「中日新聞」 2006年5月7日より



(書評2)
 地球環境問題が切迫しはじめている今日に、人類の未来の「ソフトランディングの道」を探る。宇宙天文学者の著者が、私たちの暮らしを再点検し、省エネルギー生活を考えるヒトへのヒントや心がけについて紹介する。

「望星」 2006年5月号より



(書評3)
 地球環境問題は“待ったなし”です。地球が悲鳴を上げています。このままではいけない、何とかしなければと、うしろめたさを感じながらも、何をしたらいいのかわからない、自分だけがやっても仕方ない……ほとんどの人は、そう思っているのではないでしょうか。そんな人たちに、肩肘を張らずに、できることからやってみようと、呼びかけたのがこの本です。
 地下資源を際限なく使った大量生産・大量消費、その果ての温室効果ガスの増大とごみの大量廃棄――こうした問題を放置すれば、人知をはるかに超えた気候変動とその結果による全世界的な飢餓、さらに限られた資源・食料をめぐる争奪戦(戦争の可能性大)などによって何十億もの人々が死亡し、生き残れるのは限られた国・地域の限られた人になるでしょう。まさに弱音を切り捨てるハードランディングです。
 これに対し、太陽光発電、バイオマスなど、無限の太陽エネルギーを中心にした再生・循環可能な全地球的システムを構築し、人類全体でゆっくりと新たな社会への移行を目指すのが、ソフトランディングの考え方です。本書では、そのために何が必要か、どんなテクノロジーがあるかといった点についても触れています。
 ソフトランディングとは、スローライフの奨め、といってもいいでしょう。身近な生活を見直し、簡単に家電品買い換えない、こまめに照明を消すといったわずかなことでも、地球を救うことにつながるのです。そんな些細なことでも、日々積み重ねることによって、だんだん楽しくなってきます。これは、私のささやかな経験からも自身を持って言えます。

「環境ビジネス」 2006年5月号より



(書評4)
 持続的発展という言葉を最近よく聞く、「持続的」の方は分かる。私たちが明日も明後日もその先も、ずっと世代交代を重ねつつ生きてゆくということだ。しかし、「発展」しながら、それを果たすことは可能なのだろうか。
 生物の進化はエネルギー消費量増加の歴史でもあった。変温動物から分化した恒温動物は外気温の変化にかかわらず活動が可能だが、体温維持のために変温動物の十倍のエネルギーを必要とする。人間の場合はさらにそこに文明の発展度が加算される開発途上国の人は平均的な恒温動物のエネルギー量で暮らしているが、冷暖房など文明の利器を多用する欧米や日本人の人はその百倍ものエネルギーを消費する。
 そんな大食いの文明人人口が増え出すと地球環境が悲鳴を上げる。温暖化が生態系のバランスを崩して食糧危機を招き、化石燃料が不足する未来社会では、貴重な資源を奪い合う戦争に勝った力ある者だけが生き残るのか、あるいは人類絶滅が待っているのか―。
 こうした悲惨な結末を避けて人類をソフトランディングさせるために何が必要か。それを説く本書の特徴は第一に題名通りに「科学的」なこと。いたずらに不安をあおるのではなく、実証的なデータを丁寧に積み重ねてゆく。そして、第二に生活感に富むこと。自身のエコハウス作りの経験を披露するなど常に生活者としての視点・感覚に立ちかえることを忘れない。そんな二つの特徴が生きて、じんわり効く確かな説得力を持つ一冊となった。
 しかし読んでいて疑問に感じたのは、人類とは果たして生き延びるに足る生物種なのだろうかという根本的な問題だ。放っておけばハードランディングに突入する愚かさを延命させないために、ソフトランディングの技術は「思想」になる必要があるのだろう。たとえば発展こそ幸福への道、持続的発展こそ理想と信じさせて疑わせない、「文明という宗教」の在り方をあらためて省みる、そんな批評意識をはぐくむことまで本書の読者には期待されているのだ。

「北海道新聞」 2006年4月9日より



(書評5)
 地下資源の浪費をこのまま続けると、近い将来、地球は異常気象や資源枯渇に見舞われるであろう。この地球の危機を前に宇宙天文学者である著者は、地球と共存できる慎ましい生活スタイルへのソフトランディングを考え、実践している。  それは、屋根に太陽光発電のパネルを設置し、家には柿渋を塗ることを手始めに1M4Rの生活ルールとして定着した。1Mとは「もったいない」の精神を持つこと、4Rは「減らす」「リサイクル」「再利用」「修理する」で、さらに余分にもう一つ買っておこうと思わず、余計なテクノロジーに手を出さないことだと説く。時間に追われるテクノロジー社会からの離脱を考えている読者には一読をお薦めしたい。

「出版ニュース」 2006年4月上旬号より



(書評6)
 飛行機が滑らかに着陸するようにゆっくりと減速し、姿勢を変えて新しい生き方へ移行しよう。環境問題に対する「ソフトランディング」を宇宙物理学者が提唱している。
 七年前、池内さんは家を建てた。屋根に太陽光発電パネルを取り付け、雨水をトイレや庭水に使い、井戸を掘り、科学物質の塗料を排除した。そのため週末になるとヒノキの床板を磨き、便器にうっすらとついたチリを擦り、生ゴミを処理機にかける。
 省エネルギー生活を実践するには手間がかかるが、池内さんの中では宇宙の循環と結びついている。何故なら、私たちは百三十八億年の宇宙進化の結晶であり、コップ一杯の水の中に、すべての人を構成していた原子が含まれているからだ。  自然はその法則において単純である、という言葉を思い出した。再生紙と非木材紙を使用し大豆油と植物油インクで印刷された本のつくりもひろまっているようだ。

「週刊朝日」 2006年3月31日号より [評者]西條博子



(書評7)
 ひとことで言えばご近所に住む研究者に地球環境からみた社会のありようをわかりやすく話してもらって、地球の現在と未来を考えながら歩むひとりになりたい、という気分にさせられる本。
 第1章は「我が家の暮らし」。太陽光発電や雨水の利用など簡単に実行できないこともあるが、電器製品は修理して使うとかごみの処理や公共交通機関の利用などその気になれば誰もができる暮らし方がそこにはある。
 ではどうして筆者はそのような暮らし方を選んでいるのだろう。2章以下にその答えがある。地下資源の収奪、大量廃棄物の処理問題など、のんびり考える余裕はないほど地球がだめになっていること。90億年も続く宇宙の営みの中にある地球をこの100年足らずで私たちがひどく傷つけてしまったこと。しかも地球上のごく一部の国の人間が残りの多くの人々や生きものを犠牲にしながらやってしまったことに愕然とさせられる。
 ではどうしたらいいのか、地球資源の活用などの提案とともに、もったいないとか修理するなどの考え方大切にしながら何かをやり始めようと呼びかける。

「ふぇみん」 2006年3月5日号より



(書評8)
 このままでは温暖化の影響で自然災害が頻発、穀物の不作が続いて食糧は不足し、社会的弱者から先に犠牲になる。資源獲得戦争があちこちで起こり、大量虐殺が当たり前となり、巨大な富と武力を持つ国だけが生き残るだろう。こうした人類の終末を避けるには、地球と共生できる生活スタイルを獲得し、文明の・ソフトランディング・を果たす必要がある、と著者。宇宙天文学者が宇宙の営みから現代人の暮らしを見つめ直し、持続可能な社会への方向転換を提案する。

「日刊ゲンダイ」 2006年3月2日より



(書評9)
 宇宙物理学者が勧める身近な環境保護への取り組み。大量生産、大量消費、大量廃棄の行き着く先は、人類と地球にとって悲惨なハードランディングでしかない。ソフトランディングに変えるには、一人ひとりが必要な思想を身につけ、小さなことでも始めることだ。そう唱える著者自身が、家庭で実践している太陽光発電、井戸水利用などを公開。人類の歴史と現状を分析し、環境と調和した暮らしを提案する言葉に説得力がある。

「日本経済新聞」 2006年2月19日より