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ゆっくり、時間を長く ソフトランディングの科学
著者 池内 了 |
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プロローグ 第一章 わが家の暮らし 新築したわが家が及ぼした影響 日曜日の床磨き・太陽光発電・柿渋を塗る バリアフリーの長短・井戸水・中水の利用・温水の利用 わが家の暮らし 電気製品・日常の品々・書籍 その他のこと ゴミの処分・公共交通機関の利用・家計簿 第二章 恒環境動物となった人類 動物のデザイン 共通する法則・段階的な生物の進化と人類 エコロジカル・フットプリント 共有地の悲劇 地球温暖化のフィンガープリント 「疑わしきは罰する」原則 第三章 地下資源文明 人類が経た「革命」 「革命」の共通性 地下資源文明 上流は無限?・イースター島の教訓──上流は無限ではない 下流も無限?・地球環境問題──下流も無限ではない パラドックス 環境圧 環境圧とは ハードランディングの悪夢 第四章 ソフトランディングのために 循環の思想 宇宙の営み・地球の営み・生命の循環 循環型社会 地上資源文明へ 太陽エネルギーの直接利用・バイオマス・エネルギーの利用 小型化・多様化・分散化の技術の検討 大型化・一様化・集中化の技術体系 小型化・多様化・分散化の技術 第五章 私たちにできること 身近なところから世界を広げる 1M4Rの生活 1M・4R・環境に優しい行為を一つずつ 「……しない」の原則・「……をやってみよう」の精神 決意せる消費者 第六章 ゆっくり、時間を長く Slow 時間との競争・ゆっくり、ゆったり Long Time─Horizon Time─Honored エピローグ |
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エピローグ 地球環境問題については、あちこちの講演でしゃべったり、短い文を雑誌に書いてきたりしたのだが、まとめて本にするのはこれが始めてである。だから一冊の本になるほどの系統立った材料があるかと心配したけれど、なんとかここまで辿り着くことができた。書き始めると意外にスムースに進めることができたのは、日頃からアレコレ考えていたことが溜まっていたためだろう。 ところで、地球環境問題について声高に語ろうとすると、「オオカミ少年」であるかのように見られることがある(私はもう「少年」ではないが)。余分な恐怖を煽り立てて、安寧な生活に不安感をかき立てようとする不埒な人間というわけだ。あるいは、まだそれほど緊迫してはいないのに、なぜそんなに騒ぎ立てるのか、「心配し過ぎ、杞憂」だと揶揄されることもある。いずれ科学技術が発達して解決してくれるさ、と楽観的なのである。 私自身、「オオカミ老人」のつもりではなく、天が落ちてくると「杞憂」しているわけでもない。今すぐに何事かの異変が起こるとは考えていないからだ。しかし、このまま何もしないで一〇年が経ち、アレコレ考えているだけで三〇年の時間が経ってしまうと、もはや取り返しのつかない「悲劇」が訪れるだろう、そう思っているだけのことである。一〇年先は生きておれそうだが三〇年先にはもはやこの世にいないのだから、私にとってどうでもいいようなものだが、やはり警告を発しておかねばならないという気持になってしまう。来るべき「悲劇」をもたらす元凶は私たちの世代であるからだ。だから、たとえアリバイであっても、時間を先取りして予告しておかねばならないと思うのである。 また、少しは未来を考えている一人の人間が、どういうことを実践しながら地球環境問題と格闘しているかを伝える義務もあるのではないか、と考えたこともある。いまはたんなる自己満足にしか見られないかもしれないが、そのうちに必ず多くの人たちが実践するようになるだろうという確信があるからだ。本書にも書いたように、いずれ環境圧が強くなり、人は変わらざるをえなくなることは必至なのである。そのような事態になっても慌てることなく、スムースに時代に対応していける心構えをしておかねばならない。そして資源獲得のための戦争に至ることなく、平和のうちにソフトランディングできる社会でありたいと思う。そのために、いま私たちに何ができるか、どのような手を打っておくべきか、を一緒に考えてみたかったのである。 といって、大げさなことを言っているのではない。じっくり地球の現状を観察し、現在の生き様を考え、どのような未来が待ち受けているかを考えれば、このままでもよいとは誰も思っていないはずである。どこかで変わらねばならないと思っているのだ。しかし、何をすべきかわからないのが本当のところだろう。個人でチマチマやっても何にもならない、政治が変わらなきゃどうしようもない、というわけだ。どこかに後ろめたさを抱えつつ、それを振り切って知らん顔して生きているのが私たち庶民なのである。 そこで、そのような人びとにエールを送り、普段の生活を足下から見直し、自己満足であろうとやれるところからやってみようよ、と呼びかけるつもりで書いたのが本書である。肩肘を張らずに自然体で自分の内部にあるエネルギーを引き出し、安逸に慣れたスタイルから抜け出るきっかけになればと思ったのだ。 第一章は、私が実践している省エネルギーの暮らしを紹介した。環境問題をむつかしく考えず、気楽に取り組もうよと呼びかけたつもりである。この程度なら私もできると受け取ってもらえたら言うことがない。 第二章では、さまざまなエピソードを使って、現在の人類がどのような状況にあるかを考えてみることにした。地球環境問題は産業革命以来の人類の活動の集積なのだが、いよいよ緊急の課題になりつつあることを述べたかったのである。 第三章と第四章では、どういう思想を持ち、どのような意識で進むべきか提案することにした。それは宇宙や地球や生命が経てきた「循環」と「進化」の考え方であり、その論理に従って私たちも生き方を見直そうと呼びかけたいためである。私たちの前途には、何もしないままハードランディングを迎えるのか、少しずつ手を打ってうまくソフトランディングするかの、いずれかの道が待っている。環境圧が強くなる中で、私たちは変わらざるをえないのは自明なのだが、それをいかに柔軟に受け入れ生活スタイルを変えていくかが問題となるだろう。 第五章では再び私が日常的に行っていることを紹介し、第六章では私の生活上の目標のようなものを掲げている。共感していただける部分も多いのではないかと思っている。 省エネルギーの暮らしの第一の効用は、心身が健全になるということである。省エネルギーに少しでも寄与でき、環境に優しい行為を積み重ねている、そんな心の内の自信が日々を健康に生きる糧となるからだ。自分の体を動かして生活の隅々まで点検することによって、怠慢になった肉体を鍛え直せるという効能もある(それほど大げさではないが)。さらに、未来への責任を考えるという、人類はじめての体験を先取りしている感覚も生まれる。まだ見ぬ子や孫のために植樹をした先人たちの心持ちを共有する気分で、何か嬉しい気持になるものである。もはや私はいなくても、その痕跡が生き残り、なにがしかの役に立っていると想像するのは楽しいからだ。 そのような別の世界の自分を再発見するような動機であってもかまわないと思っている。人生に慣れてしまった自分から一歩違った方向へ踏み出せ、新鮮な自分を取り戻すことができるからだ。日常の「循環」を繰り返しながら、少しは「進化」もしていることを実感するのも悪くないだろう。宇宙や地球や生命が「循環」と「進化」の組み合わせで成立しているように、人生も「めぐり」ながら「すすむ」ことを味わえるというものである。この世はすべてラセン階段を登っていると譬えられるかもしれない。(このままで行けば、奈落に向かってラセン階段を降りていくことになりかねないだろう。) そのような意図で、かつ少しでも同志が増えることを願って書いてみたのだ。むろん、環境問題を論じた本は多く出版されており、多角的な分析がなされている。いまさら付け加える部分がありそうには思えなかったが、自らが実践していること、講義でしゃべっていること、講演などで説いていること、それらを合体させればそれなりにユニークな本になると煽てられたのだ。だから、自分が実践していることと宇宙の循環は飛び離れているように見えるかもしれないが、私の中では結びついている。私たちは、一三八億年の宇宙進化の結晶であり、四六億年の地球の歴史の貴重な産物であり、三八億年の生命の歩みを刻印している存在なのである。そのような自らの歴史性を強く意識しつつ、現在をきちんと生き、未来に託するものを準備していきたい、そのような願いを本書に込めている。 と言いつつ、自分がいい加減であることに気づかされることも多かった。こうすべきだとは思っても安逸さに負けて実行していないことが多くあるし、日頃強く批判しながら自分として止められないことも多くあるからだ。それに対しては、人間は完全ではないのだからと居直ったり、あまり無理をすると長続きしないよと自分を甘やかしてもいる。おそらくトコトン考え詰めれば原始生活に戻らねばならないことになってしまうだろう。それはとても耐えられそうにないし、現実的でもない。可能な範囲でやれることを見出しながら進み、時間が経ってみればこんなに沢山できるようになったと言えればいいのではないか。そう思うことにしている。 そこでキーポイントとなるのは、人間がいったん手にした技術を有効に使いながら自然と調和することを考える、という課題だろう。技術礼賛主義で新たな技術を追っかけてばかりいると、人間は自然から解離した存在になってしまう。「もうこれ以上は結構」というRefuseの精神を養わねばならない。ハイテクばかりを待望するのではなく、ローテクで満足して体を使うことを知る必要もあるだろう。長持ちし修理の効くローテクが私たちの生活に似合っているのである。 それと反対のことのようだが、環境と人間に調和した省エネルギーの製品とする技術の追求も忘れてはならない。小型化・分散化・多様化の技術をもっと推進し、「お任せ」ではなく自分で責任を持てるシステム作りを図るのである。大型化・集中化・一様化の技術に慣れた現代においては、そのような技術を開発する方が困難を伴うだろう。だからこそチャレンジングなのだ。技術を拒否するのではなく、身丈に合った技術を求め続けることが大事と言える。 そんなことを考えながら本書を書き続けた。本書を書くにあたって、七つ森書館のみなさんにお世話になった。感謝します。 |