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抵抗する自由 少数者として生きる
著者:鎌田 慧
生きづらいのも、貧乏なのも、決してあなたのせいではない! |
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はじめに──少数者として生きる 第1章 格差社会とワーキングプア 働くものが報われなければ、即ち亡国 フリーターに与えられた自由 「連帯と団結」にこだわる 格差社会の根本は労働者派遣と人材派遣会社 第2章 成田空港閣議決定40年後の現実 三里塚に生きる人びと 納得のいく野菜をつくる──小泉英政さんに聞く 政府は謝罪したのに、まだ拡張するのか──柳川秀夫さんに聞く エリート官僚が盗人的なのだ──島村昭治さんに聞く 父親ともども三度、四度逮捕されても抵抗した──石井恒司さんに聞く 闘うことは生きること──石井紀子さんに聞く 三里塚闘争は終わったのか──「欠陥空港」の半世紀 たったひとりでも「ノー」という勇気──ふたたび、島村昭治さん宅を訪問 第3章 大胆率直に、訴える 廃港へ 三里塚闘争と生活──「東峰十字路事件」 一九七八年三月、管制塔占拠 皆さんへ、大胆率直に訴えます 真の意味で被告の奪還を 怒りのあとで 第4章 抵抗する自由 不安な時代への憤り 「小泉改革」とマスコミ いま、労働者の現場はどうなっているか 小さな国で平和に暮らす 初出一覧 |
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はじめに ── 少数者として生きる 空港が建設される前の、まだ畑や森や農道などが、コンクリートの下敷きにされることのなかった、成田市三里塚や芝山町の田園風景をときたま思い出したりする。 あの盛り上がったような土地の豊かさ、緑野のかぐわしい匂い、畑のむこうに並んでみえる黒々とした雑木林の連なり、朝起きて外にでると、その大地からたちあがる大気が、全身をつつみこみ、細胞を活性化させているのが感じられる。いまのように早朝から夜の10時すぎまで、そこらじゅう、巨大な物体が引きまわされている重い音が、一分たりとも間断することなく、まるで鉄の竈のなかにいるような圧迫感はなかった。シーンとしていて、ただ小鳥の囀りだけがやさしい、のびのびとした田園風景は、ときどき泊まりにいっていただけだが、いまは無性に懐かしい。 たとえば、辺田部落へ降りていく道の、左側に展けてあらわれるみずみずしい水田の美しさ、そこは空港用地にははいらずいまでも残されているのだが、騒音被害ですべて移転し、かつてのみずみずしさはなくなり、荒廃の気配が深まるばかりだ。どこか途中で工事を放りだしたような空港建設の光景を、いままで長いあいだみせつけられてきた。辺田部落の横を通り抜け、横堀部落へとむかう道の左側に熱田さんの家があり、右側奥に前田俊彦さんの「瓢鰻亭」があった。 櫓を立てた労活評の団結小屋のそばを通りに抜けると、プレハブづくり二階建ての「労農合宿所」があらわれる。わたしはそこのせんべい布団にくるまって寝ていた。デモのある前日は、身動きできないほどの雑魚寝だった。いまでも地形はたいして変わっていないはずなのだが、あたりは記憶にある風景とかけ離れたものになっていて、正直いって記憶をうまく復元できない。農村もひとが住まなくなってしまうと、犬や猫や鶏や野鼠たちもいなくなって、視界をささえていたつながりが断ち切られ、それぞれがばらばらになってとりとめのない景色に変わり果てている。 すぐそばまで攻め込んできた、広大で部厚い、白っぽいコンクリートのひろがりは、あたかも鉄の扉でいきなり遮蔽して水の流れを堰き止め、なん万、なん十万にもおよぶ無数の貝を、白い死骸にしてばら撒いた、あの諫早湾の死屍累々たる干潟の無惨な光景を想い起こさせる。目にはみえないのだが、広大な空港のコンクリートの下には、野ネズミやミミズやヘビやカエルや無数の虫たちの死骸が、敷きつめられているはずだ。 虫や小動物の死骸ばかりではない。そこには、男や女の叫び声や呻き声、火炎瓶の油、汗や涙、それらにまつわる血の記憶が埋まっている。立木に鎖で体を縛りつけ、地下壕を掘り、糞尿をかぶって抵抗した、誇り高き三里塚・芝山農民のひとりひとりの感情と遺志が、いまも北総大地の地表を流れている。 秋葉哲、石井武、岩沢吉井、小川明治、小川源、小川嘉吉、小泉よね、島村良助、菅沢一利、柳川初枝などの笑顔が懐かしい。ごく普通にくらしていた農民が、なんのことわりもなく、勝手に自分たちの畑のうえに線引きして、むりやり追い立てようとした国家の横暴に真っ向からたちむかい、三里塚交差点のちかくで、農機具商を営んでいた戸村一作を委員長に担ぎ、数十年にわたって闘いつづけた。そのたいがいが逮捕、投獄され、それでも最後まで抵抗しつづけて生涯を全うした。これらのひとびとは、日本の抵抗者の歴史に特記すべき群像である。 いま、その息子たち、石井恒司、小泉英政、島村昭治、柳川秀夫は、移転を拒否して親の遺志を継ぎ、農業を営んで生活している。たしかに、三里塚闘争は負けたかもしれない。しかし、1966年に閣議決定されてから、41年たっても「暫定空港」であって、未完のままでいるのは、農民の意向にまったく耳を傾けることのなかった、政治家と官僚の失政を証明している。しかし、国家はどんな失敗であっても、ケロリとしている。この責任はだれかにとらせなければならない。 66年からはじまった、三里塚・芝山農民の闘争が終熄したとは、だれもいいきることはできない。それはこの本に収録した、二代目農民たちのインタビューを読んでいただければ、あきらかだ。この闘争の精神は、建設工事が長引き、ついに「成田」とおなじ「強制収用」の愚作を演じた、石川嘉延知事の「静岡ゼネコン空港」反対闘争に引き継がれている。 全国から三里塚に駆けつけたものの数は、延べ人員にすれば、数百万人になる。これほどの長期にわたった大闘争は、日本の大衆闘争史上でも未曾有のことである。国策としての「開港日」が、反対派の実力行使によって、二カ月も延期されたのは、けだし、これが最初であろう。 78年3月の「管制塔占拠」の賠償金1億円が、30年たって元被告たちに追徴されても、全国からカンパをあつめて叩き返した(第三章)のは、いかに三里塚のたたかいが、いまなおひとびとの心を揺さぶっているかをしめしている。 この抵抗の精神が、いまや切り捨て、踏みつける、強権的な労働者支配にたいする、人間の尊厳をかけた、フリーターたちの叛乱として引き継がれようとしている。その大らかな精神を解き放つために、この本のタイトルを「抵抗する自由」とした。これは、現代女性文化研究所での講演のタイトルでもある。 2007年5月 |