増補 百姓が時代を創る
ゼロから始めるドキュメンタリー制作

山下惣一・大野和興 著
定価1800円+税
四六判 並製 272ページ
ISBN978-4-8228-0859-4


「日本に農業が存在しなければならない理由は何ですか?」。ひとりの若い女性の質問から始まった、農民作家と農業ジャーナリストの対談。

はじめに(山下惣一)

<往復書簡>
  百姓は怒っている!──大野和興
  役場前に集まれ!
  農業恐慌の時代
  困窮化する農家経済
  風林火山の末裔たち
  アジアの百姓に起こっていること
  都市で反貧困の運動が始まった
 みんな怒っている!──山下惣一
  北の百姓
  南の百姓
  プレカリアート
  ワーキングプアーと限界集落
  タイの村で考えたこと
  農に吹く新しい風
  いまが踏んばりどき

序 章 日本に農業がいるの?
    金の切れ目がいのちの切れ目
    地べたの自給
    家がつぶれ、地域が壊れる
    農業をどうみるかで、その人の生き方、価値観がわかる
    農業差別の経済構造
    新手の目くらまし、農産物輸出論

第一章 村の戦後史
    僕のまぼろしの村
    初恋と肥え汲み
    あの娘の住んでる東京へ
    新しいことはいいことだ
    この先の希望をめざして
    村の原理と民主主義
    アジアにつながる共同を

第二章 百姓という存在
    百姓とは自由・自立の人
    百姓は何でもやれる人
    奥深い「百姓の道」
    見事な百姓
    農業は総合性を、農民は全体性を
    農を棄てる民?
    自殺する人々
    国家と百姓──ミカン農民の場合
    一瞬の夏
    「棄民」される側から
    記録することの大切さ

第三章 人と土地と土
    土地は預かりもの
    増やすことは奪うこと
    百姓のモノサシ
    新しい地主が誕生する
    農地解放がめざした未来と現実
    土からとらえなおす
    百姓はなぜ土をつくるのか
    土は根っ子を支えればいいのです
    農業から自然が排除される

第四章 グローバリゼーションと農民
    土地から切り離される農民
    土地なし農民の反乱
    幻想の家族農場
    WTOと農民
    FTAがもたらす世界は?
    アジア農業大混乱
    主役は日本企業
    イグサ農民の死
    米価暴落の秋
    いまどきの農業の奇妙さ
    百姓よ、越境しよう
    同じ目線で語り合える
    直売所から地場市場づくりへ
    ドブロクで反グローバリゼーション
    農民技術の交換
    アジアの出会いを
    百姓の出会いをつくる
    食糧主権という考え方

第五章 もうひとつの農業を考える
    田園風景は百姓がつくった
    農業技術の発展を問う
    もうひとつの技術をめざして
    農は水もつく
    農の原風景
    循環をつくり直す
    地場でつくり地場で食べる
    上限を決める思想
    農は楽しむもの
    現場がリードする時代
    国民が農業に果たす役割は?
    足元でたたかうジョゼ・ボベ
    女の時代へ
    農があって食がある
    種の多様性をつぶす新公共事業
    植物の不思議
    狭まる農民の裁量権
    安全も輸入の時代
    役人が管理し、資本が動かす
    食べ方で何かが変わる
    みんなが百姓になろう
    日本版ダーチャを
    農は人を育てる
    有事法制反対百姓宣言
    農の思想
    「拡大主義」の間違い
    農本思想の脱国家化は可能か
    農業は大きくしなくていいのです
あとがき(大野和興)

拝復 大野和興様

●北の百姓
 あなたからの便りを読んで私は思わず笑ってしまいました。笑いながら「相変わらずだなあ」とつぶやきました。ま、年のわりには軽いフットワークと元気が取り柄でしょうが。私はひそかにあなたのことを「愛すべき瞬間湯沸し器」と呼んでいますが、着火が早い。
 私の住む九州北部の農村には「突く牛は死ぬまで突く」という俗諺があります。小さなツノがやっと生えてきた子牛のころからやたらと突きかかる牛は、成牛になっても老牛になってもその性癖が直らないことを戒めたものです。もし、あなたが一百姓として農村で生きていたのならおそらくその感受性、正義感、直情径行の行動力のゆえに家を潰し身を滅ぼして結局村には住めなかったでしょう。
 村で生きるということは、自分を殺してまわりに合わせるということなのです。人に先がけて怒らないこと。立ち上がらないこと。発言しないこと。出過ぎないことなのです。その領域に達した人のことを村では「円熟した人物」などと評するのです。
 くどいようですが、村で生きるということはわが内なる怒り、憤り、自我、主張といったものを抑え封じ込めるということ、ま、たとえていえば、わが内なる大野和興的なものと闘いねじ伏せることなのです。私もずいぶんとその努力をしてきました。努力しても闘っても、なお抑えきれないものが残るからこそ私は本を書いてきたのです。
 つまり、あなたも私も庄べえも同類でありお互いに相手の中に自分を見ているのですね。そして、それはけっして私たちだけではなく白鷹町の百姓衆にもあり、あなたから見れば「自らの生存が閉ざされていく状況に唯々諾々として従っている」かのように見える、人々の中にも通じ合うものだと私は考えます。
 みんな怒っているのです。露出度の差だと思いますよ。

(往復書簡「みんな怒っている!」山下惣一より)