われら63歳
朝焼けを生きる

落合恵子・佐高信 著
定価 1600円+税
四六判 並製 244ページ
ISBN978-4-8228-0862-4


1945年、敗戦の年に生まれ、「戦後」を胸いっぱいに吸い込んできたふたり──「いま、はじめの一歩の時。『朝焼け』はいま、はじまったばかりです」と発言する落合恵子さんに、「バトンは最終コーナーで自分が持っている感じがします」と応じる佐高信さん。待望の対談集です。

●著者プロフィール
落合 恵子(おちあい・けいこ)
1945年生まれ。作家。執筆と並行して東京・青山、大阪・江坂に子どもの本の専門店クレヨンハウス、女性の本の専門店ミズ・クレヨンハウス、オーガニック市場やレストランを開設。幼児教育月刊誌「クーヨン」発行人。
主な著書に、『母に歌う子守唄 その後 わたしの介護日誌』(朝日新聞社)、『母に歌う子守唄 わたしの介護日誌』『午後の居場所で』(朝日文庫)、『バーバラが歌っている』(朝日文芸文庫)、『メノポーズ革命「時の贈り物」を快適に!』(文化出版局)、『親の悩み方 子育ては自分育てから』(河出書房新社)、『人生案内 自分を育てる悩み方』『絵本屋の日曜日』(岩波書店)。主な翻訳書に、『海からの贈りもの』(アン・モロウ・リンドバーグ、立風書房)、『子どもたちの戦争』(マリア・オーセイミ、講談社)ほか多数。

佐高 信(さたか・まこと)
1945年山形県酒田市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、郷里の高校教師、経済誌の編集長を経て、評論家となる。「週刊金曜日」を発行する株式会社金曜日の代表取締役社長。
主な著書に、『城山三郎の遺志』(岩波書店)、『魯迅烈読』『逆命利君』『面々授受─市民・久野収の生き方』(岩波現代文庫)、『問答有用』(田中眞紀子との共著、朝日新聞社)、『許されざる者、筆刀両断』(ちくま文庫)、『悲歌─古賀政男の人生とメロディ』『石原慎太郎の老残』(毎日新聞社)、『城山三郎の昭和』(角川文庫)、『西郷隆盛伝説』(角川学芸出版)、『国蓄─柵の中の「いい人」が日本を蝕む』(KKベストセラーズ)、『蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻』(田中伸尚との共著)『会社事件史』(奥村宏との共著)『100人のバカ』(岡留安則との共著)『詩歌と俳句の湧き口』(七つ森書館)ほか多数。


はじめに 佐高 信

T 格差社会と子どもたち

  1. 格差社会と教育 佐高 信
    わたしならけっ飛ばします
    ダメな政治家ほど教育を語る
    親と教師の言うことを聞いてはいけない
    「いい学校」から「いい会社」へ進んでいいのか!?
    週刊誌を読まなければいけません
    教育を社会から切り離してはダメ
    『三丁目の夕日』のような美談には気をつけろ
    「新自由主義」は「旧自由主義
    ジャングル化が進んだ格差社会
    分割・会社化が事故を生み出した
    希望はどこにあるか?

  2. この国に暮らす子どもと母の思い出 落合恵子
    決して忘れられないことがありました
    クレヨンハウスは子どもの本の専門店ですが、八百屋もやっています
    母は「あなたのことを本当に欲しかった
      「あなたの人生だから、あなたが決めなさい」
    どんなにやっても悔いは残る
    > 「母さん、もし良かったら、もう一度わたしを産むかい?」
    平和でなければ介護はできません
    「崖っぷちに立つ君に」と呼びかけても ジェンダーについてもう一度問い直しをしましょう
    わたしたちは長生きしなきゃいけない

  3. 問い続けること、抵抗すること 落合恵子・佐高信
    答えは自分で出さなきゃいけない
    二人とも一九四五年に生まれました
    誰が言っているかを見極めることが大切です
    「自己責任」は上に向かって言うべきことです
    総理大臣はタカ派が四代続いています
    痛みを見た人間って、どこかでつながれるじゃないですか

U63歳 われらの抵抗人生

  1. 一九四五年に生まれて
    戦争になだれ込んでいく過程の戦前体験を語ってほしい
    戦後民主主義は疑われなさすぎました

  2. それぞれの原風景
    二部授業っていうのがありました 東中野アパートの「おねえさん」は親切にしてくれました
    戦争の痛みは二重、三重の差別です
    みずからの目で再び問い直さなければいない
    「平等」より「対等」のほうがいいんじゃないか
    いじめられた子は二重の屈辱を感じなきゃいけない
    重たいものと闘ってはじめて、軽やかに拓けた地平に出られるんだよね
    失敗も自分たちでさせてほしい

  3. 青春時代││不思議なときめき
    わたしが社会に参加しているんだという体感ですね
    軟弱?なサブ・カルチャーって無視できないのよ
    全共闘の人たちって割り切れてて違和感を持ちます

  4. 社会に出て││NO! GO! TELL!
    「スプーン一杯の幸せ」の印税ぜんぶでクレヨンハウスをオープンしました
    ほしいものがないのなら、自分でつくるしかない、と
    NO! GO! TELL!

  5. われわれは時代の申し子
    一人の人間の人生には、光があれば必ず影があります
    わたしの考えるフェミニズムとはアンチナショナリズムなんですね
    やっぱり女装プラス思想がなければ意味ないわけです
    品川正治さんは自分の中の光と影を捨てないできた方だと思いますよね
      石垣りんさんのような方々の言葉は本当に大切ですね
    二〇〇七年は医食住の破壊が見えた年ですよね
    イチローや中田は無機質な感じがします
    クレヨンハウスはパーツにされつつある時代へのレジスタンスでしょ
    支配・被支配の構造に怒る人間は病気になっちゃいけない
    バトンは最終コーナーで自分が持っている感じがしますね

あとがき 落合恵子

はじめに
佐高 信

 この本の題名を最初は『われら63歳 夕焼けを生きる』としようと思った。しかし、この時代にそんな一歩退いた感じの題名にすべきではないと考えて、あえて『朝焼けを生きる』とした。その二人の心意気をくみとっていただきたい。
 一九九五年夏にわたしたちは『50歳 われらの戦後』(岩波書店)というブックレットを出した。この本はその大幅増補版である。一三年前にわたしはこんな「はじめに」を書いているが、まずそれを再録してみよう。

 わたしが生まれたのは一九四五年一月一九日である。日本はまだ戦争の最中にあって、米軍機の空襲の警報が鳴ると、母親は生まれたばかりのわたしを抱いて防空壕にとびこんだりしたという。日本海に面した港町、酒田にも米軍機はやって来た。すでに敗色は濃かったのである。
 わたしの生まれる四日前に落合さんは宇都宮に生まれている。その二人が戦後をどう生きてきたか。日本の戦後史とぴったり重なるわたしたちの戦後史を語ることは、決して単なる思い出話にはならないだろう。
 いわゆる戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ感じの二人は、そこから、何よりも「個として生きる」ことを学んだ。それは孤立して生きることではなく、個を確立して互いに結び合う道を求めることである。迷いや悩み、あるいは喜びや怒りの中から、二人がどんな精神形成をして五〇歳になったか、戦後史を振り返る一つの手がかりにしていただけば幸いである。
 それから一三年。時代的には「戦後」から「戦前」へ入っているのではないかと思わせるような不穏な空気になっているが、ならばなおさら、「夕焼けを生きる」ではなく、「朝焼けを生きる」気持ちで、それに抵抗していかなければならない。それが「戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ」わたしたちの務めでもあろう。
 個人的には、この間、二人ともに親を亡くした。わたしは父を亡くし、落合さんは母を亡くしたのである。
 それが、これからの人生にどういう影響を与えるか。まだ、ちょっと答は出ていない。
 五〇歳の時には「個として生きる」ことを強調しているが、いまは「互いに結び合う道」をより深く求めたいような気持になっている。
 いずれにせよ、朝焼けを生きるわたしたちの心象風景を、何らかの生きるよすがにしていただけば幸いである。