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われら63歳 朝焼けを生きる
落合恵子・佐高信 著
1945年、敗戦の年に生まれ、「戦後」を胸いっぱいに吸い込んできたふたり──「いま、はじめの一歩の時。『朝焼け』はいま、はじまったばかりです」と発言する落合恵子さんに、「バトンは最終コーナーで自分が持っている感じがします」と応じる佐高信さん。待望の対談集です。 |
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はじめに 佐高 信 T 格差社会と子どもたち
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はじめに 佐高 信 この本の題名を最初は『われら63歳 夕焼けを生きる』としようと思った。しかし、この時代にそんな一歩退いた感じの題名にすべきではないと考えて、あえて『朝焼けを生きる』とした。その二人の心意気をくみとっていただきたい。 一九九五年夏にわたしたちは『50歳 われらの戦後』(岩波書店)というブックレットを出した。この本はその大幅増補版である。一三年前にわたしはこんな「はじめに」を書いているが、まずそれを再録してみよう。 わたしが生まれたのは一九四五年一月一九日である。日本はまだ戦争の最中にあって、米軍機の空襲の警報が鳴ると、母親は生まれたばかりのわたしを抱いて防空壕にとびこんだりしたという。日本海に面した港町、酒田にも米軍機はやって来た。すでに敗色は濃かったのである。 わたしの生まれる四日前に落合さんは宇都宮に生まれている。その二人が戦後をどう生きてきたか。日本の戦後史とぴったり重なるわたしたちの戦後史を語ることは、決して単なる思い出話にはならないだろう。 いわゆる戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ感じの二人は、そこから、何よりも「個として生きる」ことを学んだ。それは孤立して生きることではなく、個を確立して互いに結び合う道を求めることである。迷いや悩み、あるいは喜びや怒りの中から、二人がどんな精神形成をして五〇歳になったか、戦後史を振り返る一つの手がかりにしていただけば幸いである。 それから一三年。時代的には「戦後」から「戦前」へ入っているのではないかと思わせるような不穏な空気になっているが、ならばなおさら、「夕焼けを生きる」ではなく、「朝焼けを生きる」気持ちで、それに抵抗していかなければならない。それが「戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ」わたしたちの務めでもあろう。 個人的には、この間、二人ともに親を亡くした。わたしは父を亡くし、落合さんは母を亡くしたのである。 それが、これからの人生にどういう影響を与えるか。まだ、ちょっと答は出ていない。 五〇歳の時には「個として生きる」ことを強調しているが、いまは「互いに結び合う道」をより深く求めたいような気持になっている。 いずれにせよ、朝焼けを生きるわたしたちの心象風景を、何らかの生きるよすがにしていただけば幸いである。 |