|
一竿有縁の渓 (いっかんうえんのけい)
根深 誠 著
カラー口絵ほか豊富な釣り写真が美しい“癒される”本です。 |
![]() |
|
第一章 釣り旅の記──春から夏へ 緑風の渓 ゴギの里 里山里川の風景 ついでに奥只見でイワナ釣り 第二章 釣り旅の記──盛夏 世界遺産赤石川「金鮎祭」夢うつつ 赤石川雑感 フライフィッシング 尺イワナ一尾 川原のイワナ汁 第三章 釣り旅の記──秋へ 誰もが知る山の頂に隠しイワナの桃源郷の噂あり 篠突く雨の焼石岳 八甲田山の沼 にっぽん焚火紀行 北の大地 豊饒の渓 下北の秋しみじみと 第四章 釣り旅の周辺 春の下北 マタギの山で 幻の珍味 木村英造と会う 夏の海 信州青木村のバスで 信濃大河原の秋 津軽秋景色 ランプの宿のイワナたち あとがき |
|
あとがき 根 深 誠 秋彼岸のころ、四人の釣り仲間が焚火、イワナ釣り、マイタケ採り、もちろん各種酒類を痛飲することも含めて自然を満喫するため、私の取って置きの山野に東京からクルマでやってきた。焚火を囲み、酒を酌んで談笑し、寝て起きて沢の瀬音、木々の葉のそよぎ、小鳥たちの啼き声のする朝を迎えて、昨夜の燃え残りの燠をウチワで扇いでまた焚火、そしてまた飲酒。その合い間にイワナを釣り、ナメコ・サモダシ(ナラタケ)・カヌカ(ヒラタケ)・ほかにキノコではないけれど果実酒をつくるサルナシを採った。 みなさん、心の隅々にまでブナの山々の豊かな恵みが浸透したようである。このときの釣行の下山時に、私はイワナを一尾、テンカラで釣り落とした。それがこの年の竿納めの渓だった。 その後、休漁期間に入っても私はたびたび山に出かけた。落葉したブナの森には清潔感がただよい、それは空気が冷たく澄んでいるからなのだが、森閑として魅力的である。ツグミが渡来し、季節は冬へと向かいつつあった。やがて、しぐれる日々が続き、十月下旬には岩木山で初冠雪が見られた。この日、私は灰色になったブナ木立の山々を歩いていた。雲間から射しこむ陽光が、スポットライトのように山肌の一部だけを照らし出して移動してゆくさまはこの季節特有の現象である。晴れたり曇ったり、ときには雪がちらついたり、天候は不安定で変化しやすい。 私は沢に降りて、淵の岸辺でイワナを見物しながら昼食をとった。折れたカツラの巨木の根もとが淵になっており、そこには落ち葉が沈殿し、イワナが遊泳している。ナメコやムキタケも、付近のブナの倒木にまだくっついていた。釣りができないときでも山の自然はけっこう愉しめる。しかし、足腰の故障や病気などで歩行がままならなくなり、こうしたささやかな愉しみ事もできなくなる日が早晩くるのである。 本文でも触れたけれど「安楽椅子の登山家」、釣りの世界でいえば「安楽椅子の釣り師」にならざるをえないのだ。津軽地方における釣界の重鎮で生前、私もずいぶん世話になった故須藤均治の『一竿有縁』(津軽書房)に「肘掛け椅子の釣り師」と題する一文が収録されている。この一文は深田久弥が「安楽椅子」と訳して紹介した文章に基づいて書かれている。 「深田久弥氏によれば、西欧にはarm chair mountaineerという言葉がある、という。・肘掛け椅子の登山家・・書斎の岳人・というほどの意味だろう。(中略)登山の世界にarm chair mountaineerという存在があるのなら、釣りの世界にもarm chair angler・肘掛け椅子の釣人・という存在があってもおかしくなさそうである。私のいまの状態は、どうやらそれに近い格好である」 私のこの本のタイトルは『一竿有縁』にあやかっている。須藤均治は「ストキン様」の愛称で親しまれていた。この本のタイトルを見て、冥界で苦笑しているかもしれない。 そもそも『一竿有縁』というタイトルは、故佐藤垢石が色紙に揮毫してストキン様にプレゼントした言葉に由来する。その経緯については『一竿有縁』に収録された「たった一人の川」に書かれている。『一竿有縁』は渓のたたずまいを彷彿させるような懐かしい雰囲気を感じさせる本である。 釣りに行けない日々、山に行けない日々、釣り好きや山好きは本を手にとるのではないだろうか。「まことに、本は最高最良の山仲間のひとりである」(『本のある山旅』大森久雄著・山と渓谷社)釣りや山にかぎらず、本は人生の伴侶ともいうべき一面を備えているのである。 私のこの本もまた、釣りに行けなくなった日々、釣り人の心を多少なりとも慰撫するものとして役立つのであれば著者冥利に尽きるのだが、はたしてどうだろうか。 2008年11月 |