これに増す悲しきことの
何かあらん

靖国合祀拒否・大阪判決の射程

編著者 田中伸尚編著
定価1800円+税
四六判 並製 本文224ページ
ISBN978-4-8228-0992-8 C0036


「この世界に希望を持つためには批判し続けることこそ必要」というE・サイードの言葉にわたしは希望を託し、大坂地裁判決の怖さを伝えながら批判し、腐朽に気づかぬジャーナリズムを批判し、しかし両者への期待を込めて書いたのが本書である。(「はじめに」より) 高橋哲哉・田中伸尚対談を収録!

▼著者プロフィール
田中 伸尚(たなか のぶまさ) 1941年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。朝日新聞記者を経て、現在ノンフィクションライター。著書に『ドキュメント・昭和天皇〈全8巻〉』(緑風出版)、『合祀はいやです。』『生と死の肖像』(以上、樹花舎)、『反忠 神坂哲の72万字』(一葉社)、『ドキュメント憲法を獲得する人びと』(岩波書店、第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)『日の丸・君が代の戦後史』『靖国の戦後史』『憲法九条の戦後史』(以上、岩波新書)、『蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻──抵抗の思想と肖像』(佐高信との共編著、七つ森書館)他多数。


第1章 いのちの底をさらう  田中伸尚
プロローグ「合祀はイヤ」への道
・ 戦争と向き合わなかった司法
・ 欠落、すり替え、黙殺の果て
・ 戦後の国家神道体制への道開く司法
・ マスメディアは訴訟にどう応接したか

第2章 対論 靖国合祀拒否・大阪判決の射程 高橋哲哉・田中伸尚
靖国神社の特殊性
大阪判決の事実認定と法的対応
靖国神社の「信教の自由」とは
A級戦犯合祀と天皇参拝問題
合祀をめぐる「社会的通念」について
どうして遺族が訴訟に踏み込んだのか
問われるメディアの報道姿勢
「感情の錬金術」が蘇生し得る
映画「靖国神社」と「快傑ハリマオ
」 既成事実の積み重ねが、憲法の空洞化につながる

第3章 陳 述 書
私自身の「尊厳」を取り戻したい───────────── 菅原龍憲
「死はいかなる意味でも賛美されてはならない」────── 釋氏政昭
国のための死を名誉だとは思っていなかった父────── 冨樫行慶
悲しみと傷みと悔しさだけが残る間違った戦争の死───── 西山誠一
私と兄弟が傷ついた父の痛ましい合祀に終止符を打ちたい── 西山俊彦
これに増す悲しきことの何かあらん──────────── 古川佳子
父や兄の了解なき合祀は「戦争動員への道」─────── 古野竹則
侵略の兵士・叔父の英霊顕彰に心と身が震えた────── 吉田文枝
母と子の越えられぬ溝作った無断合祀────────── 松岡 勲

第4章 証言 霊璽簿からの削除は靖国神社で行われるべきである 高橋哲哉
戦死者の弔い方の基礎にある思想
合祀が及ぼす影響と感情の錬金術
山口自衛官合祀拒否訴訟
遺族の意思を無視した“顕彰”
無視され続ける遺族の“祀られない自由”
戦後も変わらぬ靖国神社の戦争史観

第5章 判決要旨と控訴準備書面
判決要旨
控訴準備書面(総論)──原判決の根本的誤り

資料 主な信教の自由・政教分離訴訟と憲法判断


はじめに

 戦死者の遺族は「涙の壷」を抱えて生きているという話を何度聴いただろう。その壷の中には、怒りに滲んだ悲しみが尽きることなく湛えられていて、いくら取り出しても、〈時〉によってもなくなりはしないのです、と。「涙の壷」から聴くさまざまの音色を持った「声」は、時に聴くものには未見の戦死者の姿を眼の底に着床させる。だがその「涙の壷」を見た人は誰もいない。
 そんな「涙の壷」からの声を大阪地裁の裁判官は、二〇〇六年から二年半近く聴く出遭いを持った。それが、戦死した父や兄らの靖国神社合祀に耐え難いと声を上げた遺族の裁判である。担当の裁判官らには、実時間では体験せざる日本の行った無惨な戦争と向き合う恵まれた機会だった。
 原告遺族らが「涙の壷」から取り出して語った声──それはたまゆらの生でしかなった肉親が侵略に荷担させられ、天皇の国家に奪われた悲しみ、にもかかわらず戦死した肉親が、遺族の承諾もないまま戦死者を顕彰する「靖国の神」にされてしまった悲しみ、「靖国の神」から外してほしいと頼んだのに、それはできぬと、拒まれた憤怒を湛えたそこひなき悲しみ──を、裁判官は生者の語りを通して聴いたはずである。「2009・2・26判決」はしかし、遺族の悲しみの声を粉々に砕くという、新たな悲しみを「涙の壷」に投げ込んでしまった。
 心身が壊れてしまうような酷い被害を受けている人びとが救済を求めて裁判に訴えてもそれが届かない「ひどい判決」は、確かに少なくない。しかし「2009・2・26判決」は、たんに「ひどい判決」のレベルに止まらなかった。憲法の根幹の一つである二〇条を、憲法を実現する役割を託されている裁判官自らが、溶解させるような道筋を作った判決だったからである。それに鋭く反応しなければならないジャーナリズムは、判決の持つ深刻な重大さに気づかず、漫然とした報道をしただけだった。憲法の行方に敏感なはずのジャーナリズムも全く音なしであった。本書の書名を、原告の古川佳子さんの母・小谷和子さんが二人の息子を亡くした際に詠んだ「これに増す悲しき事の何かあらん──」から取ったのは、このように悲しみがふくらんでいく「涙の壷」を想ったから。
 それでも「この世界に希望を持つためには批判し続けることこそ必要」というE・サイードの言葉にわたしは希望を託し、大坂地裁判決の怖さを伝えながら批判し、腐朽に気づかぬジャーナリズムを批判し、しかし両者への期待を込めて書いたのが本書である。このような判決が続けば──控訴審があり、東京や沖縄でも同様の訴訟の審理が進んでいる──、戦死者遺族の「涙の壷」は永遠になくならないし、悲劇がくりかえされるだろうから。
 シンドイ訴訟の主人公の原告と、弁護団、そして多忙な高橋哲哉氏の温かい協力を得、さらに訴訟を支えている強力な事務局の方がたの援けによって本書を緊急出版した。みなさんに心からお礼を申上げます。また、わたしの無理な願いに快く応答していただいた、状況への杭を深々と打ち続ける七つ森書館のみなさんに感謝したい。

  2009年6月23日 沖縄忌に           田中 伸尚