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最後まで本書におつきあいをいただき、ありがとうございます。これまで主張してきたことをまとめると、次の4点になります。
@エネルギーの消費量を減らす。
A原発はすべてやめる。
B化石燃料は最少の利用量、最小の環境負荷とな るよう、じょうずに使う。
C需要側と供給側の双方で分散化をすすめる。
ここでABCは、そうすることで@が達成されるものとして考えています。エネルギー消費の拡大が環境の危機を招いているのですから、「低エネルギー消費の社会」を実現することが真剣にめざされなくてはなりません。
ところで今春、大蔵省や通産省に就職が決まった学生たちと話をする機会に恵まれました。意外なことに、原発をやめるという主張には、あまり異論がありませんでした。それより私が大いに衝撃を受けたのは、消費を小さくするよう心掛けているという学生もふくめて、「省エネルギー」イコール「消極的」と考えていることでした。
本書の111ページでも私は、「省エネルギーとはもっと積極的なものとして考えられていいのでは」と述べています。「私たちにとってほんとうに好ましい社会をつくり出すものとして」受け身ではなく能動的に省エネをしたいのです。
58ページで「エネルギー消費が伸びつづけることを大前提にして、その伸びの一部を省エネルギーで削減しようという発想ではなく、低エネルギー消費への転換をこそ『省エネルギー』と呼びたい」と言ったのも、同じ問題意識からです。
しかし残念ながら、消極的な受け止め方のほうが有力なようです。「低エネルギー消費の社会」を実現するためには、省エネルギーをどれだけ積極的なものとして打ち出せるかが鍵になると、改めて、いっそう重要に思うようになりました。
そこで本書では、より積極的なイメージをもつ「新エネルギー」に、エネルギー消費を減らす方向性こそ、その最大の価値であるとする視点を加えて、前面に押し出しています。もちろん、それで十分なはずはありません。「新エネルギー」のほうがより積極的とする考え方そのものを変えたいと思っているのですから。
読者の皆さんのお力を借りて、これからも省エネルギーの積極性を訴えていきたいと考えています。
ところで、私にはもう一つ、ひっかかっている「消極性」があります。それは、「安全」の消極さです。原子力安全委員会のウラン加工工場臨界事故調査委員会が99年12月24日にまとめたJCO事故の調査報告書に、次のような一文が記されています。「原子力の安全に係わる業務が開発推進と同等の重要性があることに対応して、安全の業務に携わる研究者、技術者、作業者の価値が尊重される社会でなければならない」
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裏を返せば、安全の業務に携わる人たちの価値が、現実には尊重されていないということです。背景には、開発推進は積極的であり、安全規制は消極的だとする見方があるのではないでしょうか。そのことを示す発言を、97年5月2日付の「朝日新聞」からひろうことができます。 国の行政機関を再編する議論のなかで浮上した、原子力安全規制機関の独立案に対し、科学技術庁の石田寛人事務次官(当時)は、こう疑問視しています。「仕事を安全規制の範囲に限ることになり、職員の士気が下がる」
そもそも安全委員会の存在自体が、いわば原子力委員会のオマケのようなものです。基本的な政策は原子力委員会が決定し、安全委員会は、それを受けて安全規制を行なうということにされています。原子力基本法では、法の目的を述べた第一条に「安全」の文字は出てきません。「原子力の研究、開発及び利用を推進すること」がうたわれるのみなのです。安全委員会の設置について書かれた第四条は、次のようなものです。
「原子力の研究、開発及び利用に関する国の施策を計画的に遂行し、原子力行政の民主的な運営を図るため、総理府に原子力委員会及び原子力安全委員会を置く」
これでは安全規制が従属的で消極的なものと見なされて当然でしょう。JCO事故調査委員会の報告書の提言を生かそうとするなら、まず原子力基本法の改正が必要だと、私は考えています。
その上でなお、安全規制が消極的ととらえられるのは法律に書かれているからだけでないことも、認めざるをえません。安全確保の積極性をどうしたら打ち出せるかは、私にとって大きな課題です。
何より気懸かりなのは、放射性廃棄物のことです。「安全」イコール「消極的」という考え方のもとで放射性廃棄物のあと始末が行なわれたらどうなるでしょうか。このままでは、原発が動いているときより廃止された後のほうがはるかにおそろしいとすら言えるでしょう。
将来の世代への「負の遺産」を少しでも小さくする仕事に携わる人が尊重され、誇りをもって働けるようにする方策を、ぜひ具体的に考えたいと思います。
「地球を救う」という本書のタイトルは、正直なところ、何とも気かずかしい思いがします。しかし、将来の世代に放射性廃棄物を残さざるをえないならなおのこと、せめて原発や化石燃料に頼らなくてすむ社会を今から準備して、多少なりとも暮らしやすい地球を後の人に渡そうではありませんか。それが「地球を救う」ことであり、私たち自身をも救う道だと信じます。 |