原子力市民年鑑2000


もどる

巻頭論文「JCO事故から考える」高木仁三郎/原子力資料情報室前代表

巻頭論文「東海村の臨界事故が起きたしくみ」上澤千尋/原子力資料情報室

「JCO事故から考える」

 それが最近,僕はちょっと状況が変わってきていると思うんですね。明らかに僕らの時代とも違うんですが,若い人たちがなんとなく「これじゃダメだ」と考えだしていると思うんです。それはたぶん,そんなに甘い状況認識からきていることではなく,漠然とではあるけれども,ひととき以上にある種の絶望の底に全体として落ちてしまったようなところがあって,「未来が奪われてしまった」ような中で,それでは本当に自分たちは生きていけないんじゃないかというところから,もう一回はいあがろうとしているような感じがあるんです。それを,絶望の中のあがきではなく,「自分たちには未来があるんだ」という希望――創造的なものへと転換させなくてはいけないと思うんです。
“希望”と対となるものとしては,“確信”あるいは“自信”というものがあります。

「自分たちがなにかやれば,世の中は変わっていくんだ」ということへのある種の確信がないとね。“希望”というのは対になってくるものだと思うんです。だから,みんなもっと“確信”を持ったほうがいいと思う。そういうことによって,あきらめから救われると思っています。
 現在の状況を見るならば,これまで進められてきたやり方そのものがどん底に来ているといえます。体制側にとっても「このままではいけない」「どうにか変わらないとどうしようもない」という所に来ているわけです。逆に言えば,こちら側から積極的にいろんなことを対置して提起し,世の中を変えていくことについて,少しずつかもしれないけど自信を持っていいし,希望が持てると思うんです。

巻頭論文「JCO事故から考える」
高木仁三郎/原子力資料情報室前代表


上へ


「東海村の臨界事故が起きたしくみ」

 これまで述べてきた事故の経過についてもいくつか不明な点があります。約16キログラムを沈殿槽の中に入れたといわれていますが,そのことをきちんと説明できる証拠がありません。また,核燃サイクル機構との契約上は15キログラムで十分のはずなのに,なぜ16キログラム以上ものウランを取り扱っていたのかということも,まだ分かっていません。
 転換試験棟でこれまで行なわれてきた作業の工程も,本当にいわれている通りかどうかもはっきりしません。「表のマニュアル」が公開されていないのです。貯塔を使い始めた時期など,疑問が残されています。 
 なぜ,沈殿槽を使ってしまったのか,という,根本的な疑問についても十分な答えが用意されていません。

沈殿槽を使う直前に,現場の作業者3人のなかのひとりが,臨界問題にくわしい上司に「ウラン溶液を沈殿槽に入れても臨界が起こらないか?」と問い合わせたところ,「大丈夫だ」と答えたといいます。軽水炉用のウランと勘違いしていたらしい,と新聞など伝えられましたし,事故調査委員会でも取り上げられましたが,この話の真偽のほどは定かではありません。
 放出された放射能は何ベクレルかなど,ほかにもいい出せばキリがありません。まだまだ分からないことだらけなのです。

巻頭論文「東海村の臨界事故が起きたしくみ」
上澤千尋/原子力資料情報室

上へ