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生命めぐる大地

1

第一部 座談会 三里塚の百姓から若い世代へ より

川にはヒルタンケもいた

大野和興(司会) 石井恒司(東峰部落)
 三ノ宮廣(辺田部落)柳川秀夫(宿部落)
龍崎春夫(辺田部落)

2

第二部 第一章 北総大地に失われた夕立を取り戻したい
        1、北総という地域 より

1960年代から始まる「開発」と自然破壊

北総大地夕立計画(地球的課題の実験村の取り組み)

平野靖識

3

第二部 第二章 地域自立のエネルギー より

電気エネルギーについて

環境問題研究グループ・ヤマセミ


●川にはヒルタンケもいた

司会 実験村というのは、空港反対闘争の中から一つの思想として出てきたものだと、これは僕が勝手に思い込んでいるのですが、それが出てくるに当たっては原点があると思うんです。原点とは、原風景と言い換えてもいいと思う。子供時代に、ここでどういう遊びをしたかとか、どういう百姓仕事を手伝わされたかとか、野や山や川はどんなふうだったか、とか―つまり「農の原風景」です。実験村は、どういう根っこから出てきたのかということを若い世代に伝えることから、実験村作りは始まるのだろうと思う。とまあ、座談会などといった堅苦しいものではなく、いろいろしゃべって下さい。口火は、実験村構想のいいだしっぺということで、柳川さん、どうでしょうか。面白いウナギの採り方がここらにあって、柳川さんはその名人だって聞いたんだけど。

柳川  いろいろあるけど。大人の採り方はちょっと違うかもしんねえしよ(笑い)。

司会 昔、ウナギとかドジョウは、かなりいたの?

柳川 オレがやってたのは、30年くらい前で、もう闘争が始まっている時だ。子供の頃は、ウナギ採りといっても、わざわざウナギを採るというより、雑魚採りだよね。その時にウナギの子供とかモクゾウガニ(モクズガニ)がかかったよな。

司会 その当時の川はどんな感じだったんですか。

石井 川の幅は変わらないよな。

三ノ宮 いや、変わったよ。川幅を広げたっぺ。

石井 ああ、U字溝を入れたからな。

柳川 昔の川は、子供の頃だから、川幅が広く感じられたから、わかんねえんだよね。区画整理で変わっちゃったけども、当時の川は1メートルぐらいか、1メートル半くらいもあっただろうか。

三ノ宮 中郷では2メートルくらいはあったっぺ。

柳川 あすこは広いかんな。狭い所もあっただよ。
司会 当時は森がたくさんあったわけ? 川は森の中を蛇行していたということかしら。

柳川 森はなかったよな。谷津地だから、田圃の真ん中の傾斜の一番低い所を流れていく。だから田圃の真ん中になるわけだ。

司会 生き物も大分いた?

柳川 亀もいたよな。

三ノ宮 ナマズもいたな。

石井 中郷や辺田の方がちょっと広いもんな。東峰は分水嶺で、水の湧き出す所だから何もいねえんだよ。30センチとか50センチくらいのミオ(註1)だからよ。川とは言わなかったからな。

司会 ヒルタンケって何のことですか?

龍崎 カラス貝っていうもんだべ。

石井 田圃の中にいたんだな。

三ノ宮 いや、川だよ。シジミといっしょにいただよ。

司会 家で食うために採ったの。それとも遊び?

三ノ宮 遊びですよ。シジミはある程度食うけど。

石井 ヒルタンケだって食うべよ。

三ノ宮 ヒルタンケは食わねえよ。

石井 印旛沼の甚兵衛渡しまで行って、でっかいやつ採った記憶あるよ。6年生くらいの時、自転車でキタコンキタコン行って。南京袋持っていって、こんなに持ってきてさ。皮むいたらいくらもねえやな。

司会 それは、当時のタンパク質の補給源だったの?

柳川 おれらはザリガニを食ったよ。

三ノ宮 うん、ザリガニは食ったよ。おれらはエビガニっていってたけどよ。ゆでて食ったなあ。

石井 エビガニ、ドジョウだって食った。ドジョウは夜中にカンテラ持って採りにいった。

三ノ宮 そんなもんで採ってたのか。

石井 泥だらけになったよ。

三ノ宮 おらは、ゲ(ウゲ)で採ったな。あれの小さいやつを仕掛けてね。川というよりミオだから、そんないがい(大きい)もんかけらんねえから。
龍崎 ドジョウは田圃にもいただよな。

三ノ宮 ほら、クロ(畦)を切るでしょうよ、水を順番に流すのに。そこん所さ流れて来てたな。しかしドジョウは食わなかったなあ。うちのオヤジは、みそ汁さそのまんま入れていたよな。そうすっと、ぷかあって浮いてよ。

司会 ちょっと苦いんだよね。

三ノ宮 あれは見ただけでちょっと食えなかったなあ。骨がごりごりでさあ、ガキの頃はとても食えなかったなあ。

(註1)澪。海や川の中で、水の流れる筋のことをいうが、北総のこの地域では1メートルに満たない細い水の流れをミオと呼んだ。

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 1960年代から始まる「開発」と自然破壊


 1960年代半ばまで開墾と植林・営林の100年の成果で北総の台地は緑豊かな森林・穀倉地帯でした。人の営みが風土の改良に成功したと考えられます。しかしこのころになると北総の地にも開発の波が押し寄せることになります。1965年策定の千葉県新長期計画は北総を「とかく開発が遅れ格差が問題視されていた」地域ととらえ「新東京国際空港の建設を誘因として大きな変革が予想される。この地域の発展を図るために『農林水産業の近代化』『内陸工業開発の推進』『観光開発の推進』を重点に推進するものとする」と開発の方針を述べています。
 成田空港は1065ヘクタールの計画規模をもって1968年から工事が進められました。千葉県は同時期に宅地開発事業として成田ニュータウン(482.8ヘクタール)、千葉ニュータウン(1933ヘクタール)を北総地域を東西に貫くように建設を開始しました。
県ではまた先行していた東京湾岸の臨海工業地帯に対して、この時期からは内陸部に工業団地を造成していきますが、14内陸工業団地中12カ所(427ヘクタール)は北総地域に配置されています(図1)。民間での中小宅地造成や観光開発も盛んに行われるようになりました。例えばゴルフ場についてみると北総地域には42のゴルフ場があって、そのうち38カ所が1965年から1995年の30年間に造成されたものです。驚くことに北総の全ゴルフ場面積は4121ヘクタール余りとなりますが、これは成田空港(全体計画)の3.87倍、千葉ニュータウンの2倍強にもなる広さです(表1)。

図1 内陸工業団地と千葉・成田ニュータウンの分布

(出所)『千葉県企業庁資料』より作成

表1 北総地域のゴルフ場

地域(郡)

箇所
面積(ha)
印旛郡 15 1567.6
香取郡 17 1416.5
山武郡 9 1016.6
海上郡 1 121.0
匝嵯郡 0 0
北総合計 42

4121.7

(出所)『99関東ゴルフガイドマップ』(鶏窓社)より集計

 以上のような開発はおおよそ山林を切り開き田畑を潰して進めらたものです。成田空港の周囲では御料牧場の森や県有林がアスファルトとコンクリートの空港敷地に変えられ、景観の変化ばかりでなく、 地下水位の変動、大気の乾き、夏には夕立が降らなくなったなど、水の巡りの変化を感じていますが、多かれ少なかれこうした変化は北総一帯に及んでいるのではないかと思われます。

 北総大地夕立計画
(地球的課題の実験村の取り組み)

 人が地球上に存在する限り、人は自然に働きかけ自分に便利なものを取り出したり、都合のよいように作りかえたりしていくでしょう。こうした営みは開発と呼ばれます。開発が自然生命系にダメージを与えるような場合、環境破壊となります。全生物種のうち人間だけが環境破壊をしますが、逆に自然生命系の関係性を意識して、生命現象を豊かにすることに心掛ければ、 人は環境創造的な役割を果たすこともできるのではないでしょうか。明治に入りおよそ100年の間北総の大地上で繰り広げられた人々の開墾と森作りの歴史は、このことの可能性を示しているように思えます。北総大地夕立計画はこのような努力によって北総の地に夕立を降らせてみようという試みなのです。

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電気エネルギーについて
 私たちのくらしからすると、「エネルギー」という言葉が意味するものはいろいろです。ガス、ガソリン、灯油、電気のほかに、水もエネルギーと深く関わっています。水道のシステムに電気は欠かせません。井戸水を汲み上げるにも電気ポンプを使います。
 三里塚辺田部落の三ノ宮廣さんのお宅は、たいへん恵まれた自然環境にあります。裏手の山の横腹に竹筒をさし込むと、清澄な地下水があふれ出てきます。「横突き井戸」と呼んでいます。
 エネルギーの中で、特に気をつけねばならないのは電気です。電線さえひいてあればどこででも使うことができるし、煙もニオイも出さず、クリーンなエネルギーだと言われています。
「20世紀は電気の世紀」ともいわれ、現代文明は電気なしにはありえないほどです。
 電気料金は“公共料金”の一つに数えられて、銀行で自動的に引き落とされるシステムになっていますから、わが家の月々の「使用電力量」を気にしていない人が多いようです。電気は空気のようなもの、と思っている人もいるかもしれません。
 しかし、電気はどうやって作るの、作る途中で環境にどんな影響を及ぼしているの、作ったらあとは何にもないの、と調べていくと、クリーンと言われるものの裏の顔が明らかになってきます。
 図2は、1995年度のわが国の一次エネルギーの割合とそれがどう使われたか、を示すフローチャートです。

図2 日本のエネルギー供給・消費のフローチャート(1995)

 これからわかることの第一は、発電用に約4割の一次エネルギーが投入され、そのうち、3分の1しか電気になっていないということです。エネルギー変換効率がたったの3分の1しかないのです。
 第二に、さまざまな用途に使われた一次エネルギーの総量の3分の2が、最終的に、損失になっていることです。廃熱の形で環境へ出ていっています。私たちの社会がエネルギーを使えば使うほど、この廃熱も増えていくことになります。
 ところで、電気を作る方法はいろいろあるものの、日本の場合、9割くらいが火力発電です(表2)。原子力発電も実質的には火力発電といってもいいものです。高温の蒸気の流れを作り、タービンを回す。それに直結している発電機が回り、電気を起こす、というやり方です。その蒸気を作るのに、石油・石炭・天然ガスを使うか、核分裂の際の熱エネルギーを使うかの違いです。

表2 主要国の発電電力の構成(1996年) (単位:%)

日本 米国 英国
原子力 30.1 19.6 29.1 78.2 27.3 0.0
水力/地熱等 10.4 11.9 5.7 13.3 2.7 19.6
天然ガス 20.2 13.2 8.7 0.8 23.6 21.0
石炭 18.2 52.7 55.0 6.1 42.4 10.6
石油 21.0 2.6 1.4 1.5 4.0 48.9
合計(億kWh) 10032 36520 5506 5081 3463 2395

(出所)IEA ENERGY BALANCES OF OECD COUNTRIES (1995-1996)

 石油・石炭・天然ガスは有限な化石エネルギー資源であり、SOX、NOX、CO2を排出し、大気汚染と地球温暖化の元凶の一つです。核分裂を使えば、CO2は出さないものの、放射能・放射線の危険と使用済み核燃料の半永久的なあと始末という問題が生じます。
 図2にはあらわれていませんが、電気についてはもう一つ、発電・供給システムという大問題があります。日本の場合、北海道から沖縄まで、わずか10の電力会社で各地域を分割・独占しています。北から順にあげると、
北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、四国、中国、九州、沖縄の各電力会社です。これらの電力会社には関連企業がたくさんあり、その総体が通産省と密着して、中央がすべてを仕切るという日本国家の現状を支えているわけです。
 このように見てくると、地域の自立にとってエネルギー供給をどうするかは、ゆるがせにできない大きなテーマだといえましょう。

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