No.1―1999年4月
発行・株式会社 七つ森書館 
〒113-0033 東京都文京区本郷3-13-3 三富ビル
Tel.03-0818-9311 Fax.03-3818-9312

前画面へもどる

No.1―1999年4月
目次

七つ森書館の近況

 お元気のことと存知上げます。
 新刊のご案内を差し上げます。久しぶりのこととなりますが、ご無沙汰お許しください。
 私たち七つ森書館は、創業以来14年になりますが、この間に、脱原発、エコロジー、解放、食、健康、そしてセクシュアリティをテーマに出版活動を続けてきました。ようやく出版点数も30点を超えるに至りました。こうして続けてこられたのは、読者のみなさまや著者の方がた、株主、友人・知人の大きな支えがあったからです。みなさまに深く感謝する次第です。
 近況を報告しますと、創業10年の節目に『脱原発年鑑96』と『クィアステディーズ'96』を刊行しましたが、『脱原発年鑑』は昨年から『原子力市民年鑑』と改題して4年目を迎えます。『クィアスタディーズ』はアンケートによる性意識調査をまとめた『310人の性意識』の企画を生むに至り、さらにすそ野を広げるようスタッフががんばっています。
 今期(この1年間)の出版点数は6点を数えるに至りました。『原子力市民年鑑98』『310人
の性意識』のほかに、高木仁三郎さんがもう一つのノーベル賞といわれるライトライブリフッド賞を受賞するきっかけとなった『MOX総合評価』、日本弁護士連合会の公式レポート『孤立する日本のエネルギー政策』を出版。また、健康書では『漢方で治すアトピー性皮膚炎』『すぐに役立つツボ療法』を企画しました。この2冊は出版ジャンルとしては実用書にくくられる本ですが、暮らしの中で具体的に役立つ本としてシリーズ化していこうと考えています。
 さて、昨今の経済情勢は非常に厳しく、小社とて例外ではありません。しかし、大手出版社が、小社がテーマとする分野から撤退していく中にあって、小社の存在意義は高まってきていると自負しています。
 私たちは、より多くの人に新刊情報を届け、読者の方がたとの結びつきをいっそう強めていく必要を強く感じています。そうすることなしに、私たちの出版活動の展望は見えてこないと考えるからです。遅々とした歩みですが、持続していくことを力に変えるためにこの通信をお届けします。

上へ

図書館にリクエストしてください

 小社には、資料として価値があって、市民運動の役に立つ本が多数あります。そのような趣旨で企画編集してきたのですが、大部な本のために、残念ながら高定価にならざるをえませんでした。また、おびただしい出版物が流通しているために、書店では長期間にわたって置いてもらえません。小社の本が入手しづらいときは、どうぞ図書館へリクエストしてください。
 新聞広告やDMで図書館へ情報を届けていますが、それだけではなかなか選書されないのが現状です。限られた予算で運営している図書館では、低価格の
流行書を中心に本を入れているのはやむをえないことかもしれませんが、図書館の選書の基準は利用者のリクエストが非常に大きなウエイトを占めているのです。ですから、どうぞ図書館へリクエストしてください。
 本のタイトルはそれぞれ主張が込められていますから、書棚に並んで利用者の目に触れることは、それだけでも価値があることだと思うのです。
 どうぞ、よろしくお願いします。

「七つ森」の名前は、宮沢賢治から

 「七つ森は、どこにあるのですか」「七つ森書館は、童話の出版社ですか」とよく聞かれます。
 日本地図を調べると、宮城県と福島県に「七ツ森」の名が見えます。以前、文京区本郷に移ってきたばかりのころ、「仙台の方がやっている会社ですか?」と訪ねてきた女性がいました。「私の故郷の近くに七つ森という山があるんですよ」と。また、『七つ森』という秋田県の民話の絵本も出版されていました。ですから、このように聞かれるのは、もっともなことです。
 宮沢賢治は、七つ森を童話や詩に登場させていますが、「橋場線七つ森下を過ぐ」という未定稿詩があります。
 その冒頭を引きますと、
  鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし
  黒雲そこにてたヾ乱れたり
  七つ森の雪にうづみしひとつなり
  けむりの下を逼りくるもの
  月の下なる七つ森のそのひとつなり
  ……
 と、謳いつがれていきます。
 短い詩ですが、読みすすむにつれて天地自然に抱かれた凛とした気持ちになってくる詩です。もとより、宮沢賢治が求めた世界にちょっとでも近づきたいと願うものですが、凝縮した一編の詩から社名を得たことは、代え難いことだと思います。
 実際の七つ森は、小岩井農場の南にあって、ポコリポコリと小さな七つの山が連なっているそうです。

上へ

書名は語る

高木仁三郎さんと『あきらめから希望へ』

 高木仁三郎さんとは、実に永いおつきあいをいただいています。私の学生時代からですから、今年でちょうど30年になります。にわかに信じられないほど永いおつきあいとなっていますが、折りにふれ、お世話になるばかりです。
 七つ森書館を始めるにあたって、当時神田司町のビルの最上階にあった原子力資料情報室へ相談に行ったときのこと。私の顔を見るなり、「資金のことはともかく、企画では相談にのるよ」と言われました。高木さんの本の出版からスタートしたいと思っていましたから、この言葉に力を得て、その場で第1冊目の『森と里の思想──大地に根ざした文化へ』(前田俊彦さんとの対論集)の企画が練られたのです。
 そして、『チェルノブイリ──最後の警告』、『あきらめから希望へ──生きる場からの運動』(花崎皋平さんとの対論集)と続きましたが、それぞれ反響に支えられて、多くの読者の手にわたりました。
『あきらめから希望へ』は、暉峻淑子さんが「生活圏を包み込み、それぞれの主体がお互いを充実させていくような豊かな社会をつくるにはどうすべきか──この本を読むと、私たちもそれを語りあいたくなるのである」と評したように、実践者の対論として共感をよび、「この本にとても励まされた」という葉書をいくつもいただきました。しかし、書名についてはいくぶんの抵抗があったように記憶しています。とくに若い人から「本の中味はいいんだけど、題名がね……」というように。
 この本を出版した1987年は、重苦しい雰囲気につつまれていました。未曾有の大災害となった前年4月のチェルノブイリ原発事故から1年を経ていましたが、この間にヨーロッパやウクライナの悲惨な被害の実態がつぎつぎに報じられていました。日本でも、ジェット気流にのって飛んできた放射能で食品が汚染されるなど、原発を推進する側にも反対する側にもやりきれない気持ちがただよっていたと思います。日比谷公園に2万人もの人びとが集まった脱原発大集会は、翌年の88年4月のことです。
 そうした状況のなかで、市民からの問い合わせや事故の原因究明に忙殺されながら、高木さんはつぎのような発言をしています。原発技術者や体制内に蔓延する「組織されたあきらめ」を批判したあとに、
「私は、あきらめに対置して、『希望をこそ組織しよう』と言いたい。かのパンドラの箱にひとつだけ残っていたのは希望で、ギリシャ神話によれば、それこそが私たちを生かし続けて来たものだった。かの技術者は『甘い』というだろう。だが、『冷めたあきらめ』より『甘い希望』を選ぶしかあるまい」(「朝日新聞」1987年4月23日)
 と。体制内の科学者にとどまることなく、大学の研究者としての生活を断ち切って、もう一つの道を歩んできた高木さんの発言には、重く厳しい意味が込められているのです。この発言を読み、一方の対論者の花崎さんと相談して書名を『あきらめから希望へ』としたのですが、高木さんの思想には、いつも人びとを勇気づける「希望」があるように思います。つねに市民の視点から考え、市民の側に立つ科学者であるからこそ、多くの人びとが行動をともにしてきたのではないでしょうか。


高木学校で発言する高木さん

 最近の発言からも引用してみましょう。
「そして、人類の未来に暗い影がさしている今、安易なバラ色の科学技術未来論ではなく、将来に負の遺産を残すようなことなしに真摯に生きようとする人々に明日への希望を与えるような科学(私は『希望の科学』と呼びたい)のあり方に向けて、多様な挑戦を試みる若い人たちの輩出を期待し、熱いメッセージを送りたいのである」(「サイアス」1999年3月号)
 すでに、テレビや新聞の報道でご存じでしょうが、高木さんは一昨年もう一つの(オルタナティブ)ノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」(人類が今日直面する問題に答えを提示すべく取り組んでいる人に授与される)を受賞し、この賞金を基金として「オルタナティブな科学者のための高木学校」を創設しました。市民の立場から考え、行動する科学者の養成です。そのスタートの矢先に、高木さんはガンの手術を受けましたが、加療生活を続けながら、30人ほどの若い人たちとともに、この12月〜1月にかけて第1期5回の連続講座を開きました。私も、この高木学校のお手伝いをしていますが、会議に出たり報告書づくりなどの作業をしていて実に楽しい。「ワクワク、ドキドキ、ハラハラ」の連続です。こうした気持ちを出版の企画に生かしていきたいと思うのです。
 もうひとつ、すこし先走りになりますが、今春刊行予定の『原子力市民年鑑99』の論文から引用しましょう。
「私たちに今必要なのは、人々の心の中にある転換への漠然とした期待を、具体的に目に見える形にし、人々に希望と自信の灯をともして、あきらめからの出発に終止符を打つ努力である。それこそ、古い世紀から新しい世紀への飛翔でなければならないだろう」
 そう、希望を語り継ぐことが私たちのテーマです。  (七つ森書館代表 中里英章)

●高木学校に関するお問い合わせは下記へ
〒164-0003 
東京都中野区東中野1-58-15 
原子力資料情報室気付
   高木学校事務局
     TEL.03-5330-9520
     FAX.03-5330-9530
     ホームページ
    :http://.jca.ax.apc.org/takasas/

上へ


新刊抄

 原子力問題にかんする円卓会議のこれまでを見るかぎりは、反対派の考えを聴きました、という体裁づくりに終わっている。先の長良川河口堰の是非をめぐる円卓会議もそうだった。
 これら2つの円卓会議が範としたのは、成田空港問題円卓会議(93年9月〜94年10月、12回)と、これに先立つ成田空港問題シンポジウム(91年11月〜93年5月、15回)である。
 賛成派と反対派とが公開の席で、それぞれの主張をぶつけあう。行司役がこれを整理し、理非を分析し、解決の方向を双方に提示する。両者はそれを子細に検討して、論議を一段と深めていく。
 こういう手法が適切に機能するためには、いくつかの条件が満たされなければならない。何といっても、行司役――原子力政策円卓会議ではモデレーター、成田問題では隅谷調査団――にどういう人たちがつくのか、である。識見の高い人たちが国や産業界の意を体することなく、大方の市民・住民の腑におちるようような判断が導き出されなければならない。――(中略)

 成田問題の場合とくらべて、長良川問題も原子力問題も、上述したことがきわめて不十分だったと思う。国は成田問題から学ばなかった。学ぼうとしなかったのかも知れない。
 脱原発へと向かうヨーロッパのこの間の動きを見ていると、日本はあまりにも遅れている。この百年あまり、国家の意向に沿う人材を育てることだけを目的にしてきたつけがまわってきた、というべきだろう。中央省庁や官僚の病弊・腐敗が次々に露呈されてくるのを見ると、その思いを深くする。

5月刊行予定の『原子力市民年鑑99』収録の
「市民運動の新しいいぶき」より
(原子力資料情報室共同代表・山口幸夫)

上へ

もどる