No.4-2001年2月
発行・株式会社 七つ森書館
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Tel.03-3818-9311 Fax.03-3818-9312

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No.4―2001年2月号
目次


21世紀の扉を開いて

 みなさま、ご健勝にて21世紀をお迎えになられたことと存じ上げます。
 小社は、今年で16年目を迎えますが、元気に21世紀を迎えることができたのは、ひとえにみなさまのご支援、励ましがあったからだと、存じております。
 しかしながら、昨年、小社の著者がお二人も旅立たれたことは、痛恨の極みです。梁哲宗さんと高木仁三郎さんとともに21世紀を迎えられなかったのは、なにより残念なことです。
 お二人の旅立ちを事実として受け止め、私たち七つ森書館がどのように進むべきかを昨年来考え続けてきました。年末・年始の休みの間にようやく考えをまとめるに至りましたので、この通信をお届けします。
 端的に言わせていただきますと、私たちは、お二人の志を継承し、生かしていくために出版活動を続けていく決意であるということです。出版企画のテーマとしてきた“食と健康”“脱原発”“社会・思想”などの各分野の出版を一層充実させることはもちろんですが、新たな企画のスタートをもって応えていきたいと考えます。
 21世紀の扉を開いて、強く思うのは、“よりよい社会をめざす”ということです。それは、どのような社会を展望し、行動していくのかということでもあるでしょう。そのために求められるのは、あたたかな心で希望をつつみ、ともに歩む人びとと一緒になって、よりよく生きるために行動することです。私たち七つ森書館は、そのような行動をサポートするために、つねに新しい企画を考えながら、出版活動を続けていきたいと考えます。
 元気に楽しく、新たなテーマに挑戦していく――このような姿勢が私たちの21世紀のスタートです。

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希望に向かって
─私たち七つ森書館の決意と今後の出版活動─

 高木仁三郎さんが逝かれて、3か月が経ちました。この間、多くの方から励ましのメールや、小社を気遣ってくださる電話などをいただきました。胸に沁み入るほど、ありがたいことでした。心から、お礼を申し上げます。
 高木さんが手術を受けてからの2年間は、ほんとうにあっという間に過ぎ去りました。短くはありましたが、実に充実した時の流れでした。
 記憶に止めておくべきいくつかのことを記して、私たち七つ森書館の決意を述べたいと思います。


 昨年8月、高木さんから電話をいただきました。「ぼくがいなくなったら……」と、一気に二、三のことを言われました。短い電話でした。それから4〜5日して、高木さんのお宅へ伺って、2時間ほどお話しました。互いに言葉数は少なかったものの、七つ森書館のこと、高木学校のこと、原子力資料情報室のことなど多岐にわたって話し合いました。話が著作のことに及ぶと、「あんたとも腐れ縁だから、やるかい」と言われました。緊張がよぎりましたが、著作リストをいただき、著作が置いてある場所を聞いて簡単な打ち合わせをしたあと、お宅を辞しました。
 暑い日でしたが、炎天下をいろいろなことを考えながら歩きました。汗ひとつかかずに歩いてきたのに、駅に着くとどっと汗がふきだしてきたのを覚えています。
 9月末、もういけなくなったと知らせを受けたので、急いで病室へ行きました。数人の人が来ていましたが、ベッドの側でなんにも話すことができないでいると、高木さんは「仕事のことでなにかあるかな」と言うので、「『証言』の本が来週にはでき上がるよ」と応えました。「それまで生きていられるかな」……「ブックスを作りたいので、高木さんの名前をつけさせてほしいな」と言うのが精一杯でしたが、「もう賛成することも、反対することもできないけど、みんなと相談してやるんだね」と言ってくれました。


 12月10日の「高木仁三郎さんを偲ぶ会」では、司会をさせていただき、司会の挨拶で、次のように発言しました。
「この日比谷公会堂を、高木さんがかかわる運動で、2回ほど満員にしたことがあります。1回目は、チェルノブイリ事故から2年目の“原発止めよう!1万人行動”の時、2回目は成田空港に反対する人々にかけられた冤罪事件であった東峰事件救援の集会でありました。いずれも大成功でした。高木さん縁の日比谷公会堂です。
 私は、19歳、大学に入学した時に高木さんに出会いました。夏休み前の7月に、都立大学へ赴任して来られたのです。気が付けば、今日まで30年を超える歳月が流れました。

 実にいろいろなことがありましたが、高木さんと歩みながら学んできたことは、“よりよく生きるということ”“他者と対等であること”そして“希望を持ち続けること”であります。それは、どのような志をもって、どのような社会を展望していくのかということでもありました。
 本日の偲ぶ会は、“平和で持続的な未来へ向かって”であります。これは、私たちが引き継ぐ高木さんの志であると思います。私たちは、志において自由であり、志において対等であると考えます。
 本日の会にとどまらず、高木さんを語るなかから、大きな大きな一歩を踏み出したいと思います。」
 おかげさまで大過なく勤めを果たすことができ、気持ちの踏ん切りをつけることができました。偲ぶ会で高木学校のメンバーが朗読した「友へ――高木仁三郎からの最後のメッセージ」にあるように、泣き顔は高木さんにはふさわしくありません。そう、私たちは、いま、大きな一歩を踏み出す時なのだと思います。


 私たち七つ森書館は、これから次の出版活動に取り組んでいきます。
@『高木仁三郎著作集』
 著作は膨大な量に及ぶので現在整理を進めていますが、4月頃に概要をまとめて9月からの刊行をめざします。高木さんが単行本として発行した本は4〜5ページに掲載しました。
A『市民科学ブックス』
 高木さんに「高木ブックス」と申し上げたものですが、高木さんが力を注いできた「市民科学」の思想を継承するブックスを出版したいと思います。現代の科学技術の矛盾を衝いて、市民が本当に必要とする科学を考え、未来へ希望をつないでいく叢書にしたいのです。2月から刊行します。主な企画は次の通りです。
・『人間の顔をした科学』高木仁三郎著
・『脱原発講座』反原発運動全国連絡会編
・『エントロピーと地球環境』山口幸夫著
・『原発事故』伴英幸著
B『脱原発シリーズ』
 著者は、原発現地で運動に取り組んでいる方々です。反対運動の経過、電力会社・政府とのやりとりなどから「原発を止める」熱意が伝わる本にしたいのです。これまでの運動の蓄積から未来へとつなぐテーマが示せればベストであると考えます。5月頃からの刊行をめざします。
C『高木仁三郎の仕事』
 高木さんの運動と思索の軌跡をたどり、思想の地平を論じることによって私たちが考えていくテーマを明らかにしていく論集を刊行したいと思います。主なテーマは次のようになるかと思います。
脱原発/プルトニウム/エネルギー/科学技術/市民科学/宮澤賢治/子どもたちと未来


 高木さん、みなさま、どうぞ、私たちのこれからの出版活動を見守ってください。             (中里)

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高木仁三郎さんの著作集

脱原子力・反核

スリーマイル島原発事故の衝撃』編著、社会思想社、1980

核時代を生きる』現代新書、講談社、1983

ヨーロッパ反原発の旅』原子力資料情報室、1986

原発事故――日本では』岩波ブックレット、岩波書店、1986

チェルノブイリ――最後の警告』七つ森書館、1986

チェルノブイリ月誌』反原発運動全国連絡会、1988

原発廃棄に向けて』チェルノブイリ事故3周年の今、脱原発を考える神高教ブックレット、1989

食卓にあがった死の灰』(渡辺美紀子との共著)現代新書、講談社、1990

核燃料サイクル施設批判』七つ森書館、1991

チェルノブイリ事故抹殺は許されない――IAEA報告批判』原子力資料情報室、1991

核の世紀末――来るべき世界への想像力』人間選書、農山漁村文化協会、1991

反原発、出前します!――高木仁三郎講義録』(反原発出前のお店編/高木仁三郎監修)七つ森書館、1993

もんじゅ事故の行きつく先は』岩波ブックレット、岩波書店、1996

恐怖の臨界事故』(編者=原理力資料情報室名)岩波ブックレット、岩波書店、1999

The Criticality Accident at Tokai-mura』1mg of uranium that shattered Japan's myth, Co-authored by J.Takagi and CNIC, Citizens' Nuclear Information Center, 2000, translated by G.Hoerner, A.Fukami and T.Miwa

原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』カッパブックス、光文社、2000

証言――核燃料サイクル施設の未来は』七つ森書館、2000

原発事故はなぜくりかえすのか』岩波新書、岩波書店、2000

プルトニウム

『現代の博物誌 プルートーンの火』教養文庫、社会思想社、1976

『プルトニウムの恐怖』岩波新書、岩波書店、1981

『高木仁三郎が語る プルトニウムのすべて』原子力資料情報室、1994

『プルトニウムの未来――2041年からのメッセージ』岩波新書、岩波書店、1994

『プルトニウムの未来――2041年からのメッセージ』(韓国語訳)環境出版社(ソウル)、1996

『プルトニウムと市民のはざまで』1997ライトライブリフッド賞受賞記念講演、自費出版、1997

対論

『核に滅ぶか』(前田哲男との対談)径書房、1984

『森と里の思想』(前田俊彦との対談)七つ森書館、1986

『科学の「世紀末」』(関曠野との対談)平凡社、1987

『あきらめから希望へ』(花崎皋平との対談)七つ森書館、1987

科学論・文明論

『科学は変わる』東経選書、東洋経済新報社、1979

『科学は変わる』教養文庫、社会思想社、1987

『危機の科学』朝日選書、朝日新聞社、1981

『わが内なるエコロジー』人間選書、農山漁村文化協会、1982

『いま自然をどうみるか』白水社、1985

『科学とのつき合い方』河合ブックレット、河合教育文化研究所、1986

『巨大事故の時代』弘文堂、1989

『核と人間』和歌山愛隣教会特別集会講演録、同実行委、1992

『宮澤賢治をめぐる冒険――水や光や風のエコロジー』(絵・高頭祥八)社会思想社、1995

『いま自然をどうみるか(増補新版)』、白水社、1998

『市民の科学をめざして』朝日選書、朝日新聞社、1999

『市民科学者として生きる』岩波新書、岩波書店、1999

『市民科学者として生きる』(韓国語訳)金源植訳、緑色評論社、2000

運動論

『いま、普段着の科学者として考えること』オルターナティブを考える会、1981

『反原発・エコロジーについて』核と戦争のない社会を!軍拡の中曽根はゴメンだ!ちば行動、1984

『少数派の力を見直す』日市連ブックレット1、日本はこれでいいのか!市民連合、1983

エネルギー論

『このままだと20年後のエネルギーはこうなる』カタログハウス、1998

『持続可能で平和なエネルギーの未来』地球温暖化防止調布会議実行委員会、1999

科学読み物

『現代の博物誌 見る月見られる月』教養文庫、社会思想社、1976[有馬次郎名]

『閉じたせかい開いたせかい』教養文庫、社会思想社、1978[有馬次郎名]

幼児向けの本

『ぼくからみると』(え・片山健)かがくのとも、福音館書店、1984

『もし……どっちのみちにいこうかな』(え・中野こういち)福音館書店、1988

『QUI VOIT QUOI ?』(『ぼくからみると』仏訳)l'ecole de loisiers社

『ぼくからみると』(絵・片山健)かがくのとも傑作集、福音館書店、1995

子供向けの本

『元素の小事典』岩波ジュニア新書、岩波書店、1982

『新版 元素の小事典』岩波ジュニア新書、岩波書店、1999

『単位の小事典』岩波ジュニア新書、岩波書店、1985

『新版 単位の小事典』岩波ジュニア新書、岩波書店、1995

『エネルギーを考える 社会・未来・わたしたち8』岩崎書店、1986

『マリー・キュリーが考えたこと』岩波ジュニア新書、岩波書店、1992

小説

『鳥たちの舞うとき』工作舎、2000

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あたたかな医療
─梁哲宗先生の治療─
 梁先生とのおつきあいがいつから始まったのかは、実のところよく覚えていません。気がついたときには、私の家族がお世話になっていました。先生のお兄さんの梁哲周先生とのおつきあいが長いせいもあるのかもしれません。
 私の娘は生まれたばかりのころから、ひどい幼児性湿疹になやまされていました。湿疹がかゆいものですから、ひっかくほど掻いてしまって、顔中血がにじむほどになってしまい、写真を撮るのもかわいそうなくらいでした。ある時、ふわりと「そうだ、梁先生に診てもらおう」と思ったのです。本当に“ふわり”と思いついたのです。
 漢方薬をいただいて、3か月ほどして、「やあ、こんなにきれいな肌をしていたんだね」との先生の言葉が、娘の完治証明でした。すぐに扁桃腺をはらして風邪を引きやすかった息子も一緒に漢方薬を飲んでいたのですが、こちらも元気になるというおまけつきでした。以来、わが家で“梁先生のお薬”というときは、ほっこりとあたたかな感じがするのです。「必ず、梁先生が治してくださる」と。
 梁先生は、私と同年ですが、千葉大学医学部を卒業後、まっすぐ漢方の道をすすまれ、北里研究所附属東洋医学研究所に入所し、医長にて退職されたのちに日本橋芍薬医院を開院された聞いています。また、お父さま、ご兄弟も漢方の道を歩んでおられる漢方一家だそうです。
 私は、漢方は天地自然の力をもって治療にあたっていると考えています。草根木皮がもととなる漢方薬、経絡を刺激する鍼灸、気功法などの導引、食べ物で体調を整える食治――これらは自然の営みと密接に結びついています。梁先生は、そのどれにも造詣が深い方でしたが、それ以上に、患者の治療に熱心な方でした。
 子どもの付き添いや仕事の打ち合わせで、しばしば芍薬医院を訪れましたが、診察室での先生は、実によく患者の話を聞いておられました。きりっとした口元から発せられる言葉から、患者に元気を与えているような、そんな感じを受けました。治療の前に患者を治す――名医でした。
 先生が亡くなって、芍薬医院から分厚いカルテが送られてきました。子どもたちの病状が克明に記録されていました。「このカルテを持っていけば、どこでも同じ治療が受けられますよ」とおっしゃる梁先生の言葉が聞こえてくるようです。
 小社ではご一門の方々の企画も進行しておりますので、着実な出版を心がけ、梁先生が医療にかたむけられた志を生かしてきたいと思います。    (中里)

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