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No.7-2002年10月 発行・株式会社 七つ森書館 〒113-0033 東京都文京区本郷3-13-3 三富ビル Tel.03-3818-9311 Fax.03-3818-9312 |
目次 |
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| 東京電力によるトラブル・事故隠しが発覚しました。雪印乳業、日本ハムに続く業界のトップ企業が引き起こした不祥事であるかのように報じられています。 小社では『原発事故隠しの本質』(反原発運動全国連絡会)を緊急出版しますが、ここで問題にしたいのは企業は社会に対してどうあるべきかと言うことです。 企業は利潤をあげ、以て日本経済の発展に資する──本当にそうでしょうか。利潤のためには長いものには巻かれろ、臭いものには蓋…でいいと考える人はもはや少数派です。景気の牽引車とまでいわれる電力会社が推進する原発に関する世論調査では、80%以上の人が「いやだ」と言っています。この声は原発ばかりでなく、事故隠しをする電力会社と国に対しても「ノー!」と言っているのです。 |
さらに、東京電力という会社が原発立地に際して何をしてきたかを私たちは詳しく知っています。住民に対するT─CIAとも呼ばれる東電の暗躍は陰湿を極め、金にものを言わせる退廃した攻勢を仕掛けています。これは東電に限らず、原発を推進する他の電力会社も同様です。事故隠しばかりでなく、このようなことが闇から闇へと葬られてよいものではありません。 いま企業に求められるのは、社会に対して正直であるということです。よりよい社会のために資するということです。これが社会への責任ある態度といえるのではないでしょうか。 高木仁三郎さんがJCO臨界事故に際して述べた、「政府や原子力産業の関係者、さらには国民全体が、核物質に依存する社会を根底から見なおす」行動をはじめたいのです。 |
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4月〜10月のクロニクル 半年ぶりの通信となってしまいました。この間、8冊の本を出版し、たくさんの場所へ行きました。カートに本と高木さんの著作集のパンフを入れての旅でしたが、多くの方のお世話になりました。ありがとうございます。 ●3月16日「竹内直一さんをしのぶ会」(東京)。この日のために『食べものは商品じゃない』を出版。竹内さんとはじっくり話をする機会がありませんでしたが、ある集会で高木さんの本を献本した時、「おっ…」と言った表情が印象に残っています。人をぐっと惹きつける魅力がありました。 ●3月17日 「成田空港の暫定滑走路と無農薬・有機農業の畑が気になって…」と銘打ったバスツアー。第2回は、4月28日「騒音、大気の汚染が気になって」。毎回50人の方の参加があり、この様子は、暫定滑走路の供用中止を訴えるメッセージとともに『着陸不可』に収録しました。 ●6月1日「住民投票1周年 プルサーマル中止を求める全国集会」(柏崎)。夜は全国市民交流会と原発立地全国連絡会。翌日、分科会の後、武本和幸さんの案内で柏崎原発、電源三法交付金で建てた生涯学習施設ラピカの壮大な無駄遣いを見学して反対同盟の事務所へ。医師・歯科医が連名で出したプルサーマル反対のチラシは説得力がありました。かかりつけのお医者さんの医院名まで出ているのですから。 ●6月6日 成田空港記者クラブにて『着陸不可』の記者会見。加盟マスコミ16社中15社が出席と関心が高い。記者クラブは空港のターミナルビル内なので、無事に入って来れるか、と心配してくれた記者さんがいました。 ●6月23日 原子力資料情報室公開研究会in青森「どうする? 六ヶ所再処理工場」。情報室の公開研究会としては久々の現地開催。“止めよう!再処理100万人署名”も始まっていました。前夜、加藤鉄監督と同席し、長編記録映画「田神有楽──下北半島・六ヶ所村」(企画・製作東風舎)の完成を知りました。9月26日に試写会拝見。ラストで舞う小泉金吾さんの新納屋神楽は圧巻でした。“ドキュメンタリーの力”を実感し、同時に元気をもらいました。11月30日から東京のラピュタ阿佐ヶ谷にて公開予定ですので、ぜひ観てください。 ●7月14日 成田空港・暫定滑走路廃止を求めるシンポジウム「国がいう“公共性”をひっくりかえそう!」(東京)。小田実さんが基調講演。諫早市議の岩永賢一さん、愛知万博中止の会の影山健さん、空港いらない静岡県民の会の島野房巳さん、三里塚農民の柳川秀夫さんらがパネルディスカッション。公共性の根本を問い直すシンポの模様は、11月に出版します。翌日は、小田実さん父娘、衆院議員の北川れん子さんともども第3回めの三里塚バスツアー。 |
●7月20日「住基ネット8月5日実施を許さない大集会&大パレード」(東京)。この日にあわせて『エシュロン』を出版。酷暑のなか牛の着ぐるみでパレードをした方、おつかれさまでした。 ●8月1日農水省記者クラブで『狂牛病を追う』の資料配付。著者の滝川さんに来京していただき、「日本農業新聞」のインタビュー。 ●8月3日「戦車闘争から30年/ベトナム代表団歓迎・交流の集い」(神奈川県・相模原)。“相模原戦車闘争”“ただの市民が戦車を止める会”の名称に、今でも胸が熱くなります。解放軍の兵士が地下壕のラジオで、日本の市民がアメリカ軍の戦車を止めたのを知って奮い立った、という話を30年後のこの日に聞いて感涙。 ●8月4〜6日「被爆57周年原水爆禁止世界大会」。『開かれた「パンドラの箱」と核廃絶へのたたかい』を携えて参加。「広島の夏は暑い」ので苦労しますが、参加の度に「ヒロシマが熱い」と実感します。 ●8月8〜9日「第38回教研サークル城島集会」(大分県・別府)。実は、原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さんが、5月に続いて2回目の講演をすると聞いて、(何かあるのでは…)と、ご無理を申し上げて参加させていただきました。山口さんの基調講演――東大闘争、ただの市民が戦車を止める会の運動という、いわば自分史から説き起こした「総合学習の創造――ハードパスからソフトパスへ」は胸に残りました。この集会は大分県教職員組合の自主的活動だそうですが、組合員の組織率が100%近いというのもさることながら、教員の方の意識の持ち方に驚かされました。 ●8月14日「第二次世界大戦・最後の大空襲の地大阪から平和主義を発信する市民集会」。敗戦前日に大空襲があったとは! 小田実さんたちが毎年開いている催しですが、ドイツから良心的兵役拒否の若者3人を招いた会は新鮮な印象でした。
●10月5日 高木さんの出身地群馬県前橋で「高木仁三郎をしのび環境問題を考える会」(略称・前橋高木仁三郎の会)が発足して、この日に初の集いを開催。会の代表は、お姉さまの佐藤香さん。同窓生の方々の協力で開かれた会は地元ならではのあたたかさです。毎年開かれるとのこと。 (な) |
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『愛と希望のルポルタージュ』明石昇二郎 著 |
| 本書のシリーズ名「明石ジャーナル」とは、著者の明石昇二郎さんが毎年発行している“年賀状”のタイトルでもあります。明石さんが前年に雑誌などへ執筆した記事をまとめて冊子にしたものです。1994年から始まったこの“年賀状”は、毎年小社にも届いています。「これを本にまとめられないだろうか」――そこから本書が生まれました。 内容は、『サンデー毎日』『週刊プレイボーイ』『週刊金曜日』に今まで掲載された記事をまとめた、いわば「明石昇二郎個人雑誌」といえます。 テーマは原発、カネミ油症、狂牛病、臓器移植、愛知万博、年金問題……と多岐にわたっています。明石さんの日々の精力的な活躍ぶりが伝わってくるルポルタージュです。とくに、JCO臨界事故直後から2カ月以上も『サンデー毎日』に連載された「東海村シンドローム」は圧巻です。事故当時の状況や経過が克明に検証され、また、被曝事故時の避難対策マニュアルも収録されています(役に立つ日が来ないことを祈りますが)。 なお、「明石ジャーナル」としては、『シミュレーション・ノンフィクション 原発震災』(2001年)に続く2冊目となります。 (か) (本書は、四六判、240頁、定価1600円+税) |
気がついてみればというと失礼かもしれませんが、ドキュメンタリー作品が増えてきています。最初に『ズームアップ新歩人』(楠山忠之著)を発行したのは1988年でした。次に『原発に子孫の命は売れない』(恩田勝亘著)を発行。新聞広告の掲載回数が多い本です。タイトルそのもののアピール度が高いので、核燃が争点となった青森県知事選、柏崎の住民投票、もんじゅ事故など、その時々に新聞の一面に広告を出したからです。 自分自身の問題を書いたのでドキュメンタリーとはいえないかもしれませんが、『ヒロシマ発チェルノブイリ』はすぐれたルポです。チェルノブイリ事故の地でヒロシマの写真展を開く前後を被曝二世である木原省治さんが綴ったので、新しい地平を開いたものでした。その後、明石昇二郎さん、粟野仁雄さん、滝川康治さんのルポを出版しましたが、それぞれ高い評価を受けています。しかし、フリーのライターにとっては、冬の時代です。厳しくとも、私たちの足もとに潜む問題を追求していきたいと思います。 (な) |
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『着陸不可──日本の空の玄関 新東京国際空港36年目の現実』 「成田空港の暫定滑走路の供用中止を訴えます」編集委員会 編 |
| 1999年5月、高木仁三郎さんも参加して「成田空港の暫定滑走路案を白紙に戻すように訴えます」という声明運動が行われました。政府・空港公団は、2002年ワールドカップ開催にあわせて成田空港の暫定滑走路を開港すると発表したからです。それから3年――声明運動を行った人たちが心配し、今年の2月、「成田空港の暫定滑走路の供用中止を訴える」緊急の呼びかけをしました。 また、大きく様変わりした空港周辺、なかでもジェット機の飛行直下となる東峰地区の様子を自分の目で確かめようと3月にバスツアーが行われました。暫定滑走路が供用された直後にも、頭上わずか40mをかすめる飛行機のすごさを体験するバスツアーも行われました。 この結果、全国、全世界から約100人もの人々からメッセージが寄せられました。これらは暫定滑走路の供用に反対するメッセージ、現地で生き暮らしている人たちに連帯するメッセージです。 本書は、メッセージに加えて、成田の東峰部落で暮らし、働く人たちの文章、資料、年表などを収録したものです。 |
![]() 小社では、事務局のお手伝いをしています。出版社が活動に参加しながら、本をつくる。そして、全国の書店の流通ルートにのせ、一人でも多くの人に手にとってもらい、現状を訴える――そのためには低価格でなければなりません。原価と採算を切りつめ、口コミ・手渡しを中心に販売してきました。取次会社へ委託して書店にも並べていますので、書店・図書館からの注文もきています。読者の皆さまに支えられ、初版1300部はほぼ完売というところまできました。 7月14日には、成田空港・暫定滑走路廃止を求めるシンポ「国がいう“公共性”をひっくりかえそう」が行われました。このシンポの内容を中心に、公共性について考える本の出版を現在、進めています。 (Y) (本書は、四六判、214頁、定価1000円+税) |
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『食べものは商品じゃない──すこやかな命を未来へ』 竹内直一 著 |
| 2001年12月16日、日本消費者連盟の創始者である竹内一直さんが83歳で永眠されました。食べものの安全と農業のあり方について、竹内さんが遺した提言をまとめたものが本書です。 私たちが生きていくためには、食べものは空気や水と並んでかけがえのない「生命財」であり、効率一辺倒であってはならない――食品偽装問題、狂牛病など、食の安全が根本から見直されている現在の状況を見通したかのような、示唆に富んだ内容です。さらに、農水省官僚から消費者運動へ身を転じるまでのいきさつや、「ホイッスル・ブロウワー(内部告発者)」の重要性についてもふれています。 |
タイトルの「食べものは商品じゃない」は、竹内さんの口ぐせだったそうです。安全でおいしい食べものを守ることはもちろん、毎日を健康で過ごせる幸せ、周囲の人びととのふれ合い……など、自分のまわりには、お金に換算できないことがたくさんあるのだなぁと思う今日この頃です。 (か) (本書は、四六判、240頁、定価1800円+税) |
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『原子力市民年間2002』 原子力資料情報室 編 |
| 東京電力の福島第一・第二原発・柏崎刈羽原発、中部電力の浜岡原発、東北電力の女川原発で、相次いでトラブル隠しが明らかになり、原発事故に対する不安が高まっています。 そうした不安に応える資料やデータを網羅していますから、まず原子力市民年鑑を開いてほしいのです。 刊行7年目を迎えた本年の巻頭では、2001年の原子力をめぐる動きや原子力資料情報室の活動を報告。三重県海山町の新規立地が止められ、新潟県刈羽村でプルサーマル計画の凍結が決まった住民投票、また2001年11月に浜岡原発1号炉で起きた事故の経緯と問題点について詳しく報告しています。 |
データ編の「1.データで見る日本の原発」では稼働以来、現在までの日本の原発すべての実績、主な事故をサイト別に、「2.データで見る原発をとりまく状況」では「プルトニウム」「事故」「核燃料サイクル」「原子力行政」など14のテーマに沿ってデータを掲載しています。
(Y) (本書は、A4判、378頁、定価2800円+税) |
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『狂牛病を追う──酪農王国北海道から』 滝川康治 著 |
| 著者の滝川康治さんは北海道の酪農家の出身です。幌延町の地層処分問題を記録した前作『核に揺れる北の大地』に続き、小社からの2作目は、狂牛病についてのリポートです。かつては牛を追う日々を送っていたというだけあって、酪農の実態に深く踏み込んだ一冊です。 歪んでしまった生産構造を見直し、本来の酪農のあるべき姿をとり戻す道を探るのが本書のテーマです。冒頭では、病気やケガで死んだ牛を処理する「へい獣処理場」の様子が出てきます。実際には元気のいい廃用牛が持ち込まれ、狂牛病の検査もされずに処分され、焼却されていくという事実に、この国の酪農の歪みが象徴されているように感じました。 |
これから、生産者の方々は信頼を新たに築くことから始める必要があるでしょう。そして、消費者も、自分たちの口に入るものがどのように生産されるのか、もっと学ばなくてはならないと思います。どちらの立場の方にも、ぜひ本書を読んでいただきたいです。(か) (本書は、四六判、200頁、定価1300円+税) |
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『【増補版】すぐに役立つ家庭療法』 神谷節子/陣内秀喜 著 |
| 初版から7年、好評だった『家庭療法』が大幅にバージョンアップして増補版になりました。 増補版では、アレルギー疾患の増加にあわせ、「花粉症」と「アトピー性皮膚炎」を追加しました。また、高齢化社会に対応し、若返り運動、気功、あんまを解説した「いつまでも若々しく」を追加し、「更年期障害」も充実。日常よく起きる症状や病気――かぜ・冷え症・だるさ・不眠など116の症状に、手軽で有効な健康法を“ツボ療法”“飲食療法”“運動療法”“物理療法”の4つの項目に分け、1132種類を紹介しています。 |
ツボの位置や刺激法、民間薬、薬草茶の作り方、体操、入浴法、湿布など、イラストを豊富に使い、簡潔な文章で書かれていますので、わかりやすく、すぐに役立ちます。加えて、症状ごとに薬局やドラッグストアーで入手できるハーブと漢方薬の処方を追加しました。 (本書は、A4判、342頁、定価2300円+税) |
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エシュロン 欧州議会最終報告書の深層 小倉利丸 編 |
| 「エシュロンは世界の通信を盗聴し、処理したうえで、加盟国である米国、英国、カナダ、オーストラリア、そしてニュージーランドに情報を広める監視網であるといわれています。(略)基本的人権の観点からただ一つのことだけを要求するとなりますと、それは国家機密機関の全廃ということです。特に昨年の9月11日以降、多くの政治家は世界全体の幸福は、より多くの力を機密機関に与えることにかかっていると、私たちを信じ込ませようとしています。 |
歴史を少しでも顧みれば、この議論がどれだけ信用性のないものかがわかります。つまり、ビンラデンとタリバーンの指導者は現在の世界規模の国家機密機関拡張の正当性のために使われているのです。(略)機密機関の行動に対する唯一の解決策は、欧州議会の報告で推薦されていた、より多くの機密機関の設立ではなく、ただそれらの廃止にかかっているのです」(欧州議会エシュロン問題特別委員会委員 イルカ・シュレイダーさんの論文より) (本書は、四六判、328頁、定価2300円+税) |
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原水爆禁止日本国民会議/21世紀の原水禁運動を考える会 編 |
| 「原水爆禁止署名全国協議会が集めた署名数は、1955年8月4日現在で3040万4980名に達したと発表した。(略)ここで再度強調しておきたいことは、原水爆禁止署名を集めた大半は女性だったということである。署名運動に取り組んだ人たちにはさまざまな立場の人がいただろう。しかし家事・育児を担わされてきた女性のほうが、健康については男たちよりも遙かに敏感であった。毎日つくる食事のなかに放射能が入っていないかという不安・心配が、女性たちを原水爆禁止署名に駆りたてていった。 |
その意味で女性は生活者の目で原水爆実験をとらえたのであった。そして女性たちの生活者として核を考える立場は、80年代後半からの反原発運動として再び大きなうねりをつくりだす」(「2.米ソの核開発競争とビキニ水爆実験の被害」より)。本書は大阪軍縮協の和田長久さんの責任執筆。原水禁運動を10年ごとに区切った章立てなので読みやすく、運動のダイナミズムが感じられます。 (本書は、四六判、488頁、定価2800円+税) |
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未公刊資料の解題から 本著作集では、未公刊資料の充実を図っています。西尾漠さん執筆の各巻の「解題」から引用します。 |
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●第4巻「プルートーンの火」…「死をみつめながら――わが闘病記」は、タイトルの通り、2000年夏までの闘病中に書かれた未発表の手記である。「友へ――高木仁三郎からの最後のメッセージ」は、2000年12月10日に日比谷公会堂で開催した「高木仁三郎さんを偲ぶ会――平和で持続的な未来に向かって」のために、高木さんが病床で用意したものである。 ●第1巻「脱原発へ歩みだす1」…高木さんが1972年5月初めから73年5月末までの約13カ月、マックス・プランク核物理研究所の客員研究員としてドイツの古都ハイデルベルクに滞在していた当時、ハリさんこと中田久仁子(現・高木久仁子)さんに宛てた手紙を採録した。熱烈なるLiebesbrief=恋文である。と同時に、まとまった形で残されていない高木さんの三里塚闘争論、革命観など(の一端、それもあくまで当時のものだが)をうかがい知れる記録でもある。 ●第7巻「市民科学者として生きる1」(『ぷろじぇ』誌掲載の論文を収録)…学園闘争時の学生たちの問いかけへの対応として、高木さんは、「体制内のポストを捨てたうえで、自前の科学(学問)・技術をめざす」ことを選ぼうとした。 |
しかし、多くの人は、その可能性に否定的だった、と高木さんは、『市民科学者として生きる』に書いている。「私は、『理論武装』するために、それまであまりなじみでなかった科学論や科学史関係の本を読み漁り、仲間として加わった『ぷろじぇ』という同人誌に、『自然・科学・人間』と題して、何回か自分の考えを整理するような文章を書いた。しかし、なかなかはっきりした展望には到達しなかった。……この時点ではいわば志のようなものだけがあって、具体的な展望などかけらもなかったし、理論的な裏づけもまったく不十分だった」。高木さんは、『ぷろじぇ』で言えば第8号と第9号の間になる(「折原書簡を読んで」の直後の)1973年8月31日付で都立大学助教授の職を辞した。 ●第11巻「子どもたちの未来」…「初めて出会う原子力」は、反原発運動全国連絡会が発行する月刊紙『反原発新聞』(高木仁三郎編集長=当時)で、1988年1月号から12月号までの1年間、連載された。同紙にずっと掲載されている「反原発講座」の特別版である。(略)「高木周とのメール」は、1998年末から2000年10月8日に高木さんが亡くなる直前までの、長男周さん(東京大学工学部講師=当時)との間のやりとりである。 |